人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

K県Y拘置所・未決囚監の思い出(1)

 留置場は警察署内にあり送検されるまでの一時拘置施設なのでまだ罪状は確定しておらず、正確には牢獄ではない、と名目上にはなっている。入浴はほぼ10日に1度、管理者は警察官だから手が空いた時にしか入らせてもらえないのがつらい。食事は3食仕出し弁当で晩のみインスタント味噌汁がつき、朝昼は白湯、晩のみ麦茶が出る。ただし警察署によって処遇には違いがあると思われる。容疑者の状態によって独居房(独房とは呼ばない)~雑居房(2人~4人)に適宜分けて収監される。暴れる容疑者は独居房、という具合。最初は独居房、次に雑居房に移され、別の雑居房に変わり、また独居房に戻された。床はコンクリートの打ち放しだが雑居房で四畳半~六畳、独居房は三畳相当だった。

 検察庁で起訴が確定すると正式に被疑者となり管区でまとまった人数になってから拘置所に押送される。留置場から出る時点で手錠をかけられ、腰に拘束用のベルトをされ腰縄で一列に結ばれて覆面バスに乗せられる。押送中も手錠、腰縄は外されない。鉄格子越しに流れる外の景色を見ると別世界のように感じる。そして拘置所の門をくぐり入監手続きが済むと、裁判結審までは未決囚として監禁される。

 拘置所の用途は正確には刑務所だけではなく、裁判待機中の被疑者を監禁するための未決囚監でもある。刑務所には執行猶予なしで懲役・禁錮実刑判決が下れば移送される。もっとも留置場・拘置所も実態は禁錮刑と同様で、拘置所ではより規則が厳しくなる。毎日の掃除、食事、体操、昼寝以外では座卓の所定位置に座り続けるか、備えつけの囲碁・将棋以外は禁じられる。昼寝時間外に横になったり所定位置を離れて壁にもたれて座ることすら禁じられる。汗をかいても規定時間以外には体を拭くことすら禁止される。雑居房(8人~10人)では同房者全員に刑務官から注意がおよぶので規則・規定は同房者同士の相互監視状態になる。床は畳で、12畳に10人の満室になると布団を敷くには4人ずつ横列、中央に縦に2列でいっぱいになる。男8人~10人も同室だと朝掃除するとすり減った畳の毛埃が握りこぶしほどに集まる。

 拘置所により異なるかもしれないが、刑務官の管理上の便宜のためか雑居房は同種の犯罪被疑者に分けられており、当初入れられた306房は密輸犯と集団窃盗犯が集められていた。組織的職業犯罪者の雑居房ということになる。晴れなら週に2回ある中庭の運動時間(四方は5階建ての拘置所の壁、運動といってもグラウンドを時計回りに競歩するだけ)にベンチで爪を切っていると(この時だけ爪切りが貸与される。ちなみに電気シェーバーによるひげ剃りは不定期週1回と裁判日の朝のみ)初老の男が教えてくれた。この人は隣の305房で、そちらは筋金入りのヤクザ房らしい。「あんた、ずいぶん苛められているみたいだな」「はい」「あいつらはどうしようもないよ。あんたはこんな所に来る人じゃない。だからだね」「そうですか」「うちに移ってきなよ。うちはカタギの人を苛めたりしないよ」「はあ」。しかし苛めはエスカレートするばかりだったので刑務官に独居房を志願した。だが移されたのは2つ隣の303房で、騒がしかった306房と違ってしんと静まり返っていた。誰も必要以上の口を利かなかった。やがて初めて303房の房長(最長期入所者が順ぐりになる)に起訴容疑を訊かれた。というより「お前は何の薬だ?」と訊かれた。303房は麻薬常習犯の雑居房なのだった。薬ではありません、と説明すると「はあ?じゃあお前は女房に売られて来たわけか」「そうとは思っていません」と答えながら、一匹狼ばかりの麻薬常習犯雑居房の方がまだましだな、と感じた。

 職業的組織犯ばかりの306房は面会・差し入れが多く、菓子ばかり喰っている連中だった。座卓に着いてさえいれば会話は自由なので騒がしく、読書などしている未決囚はいなかった。面会者も差し入れもまったくない303房未決囚の麻薬犯たちは会話より読書に熱心だった。拘置所内の書庫からは隔週で貸し出し本が2冊まで取り寄せられ、何度も読み返したのはアーダルベルト・シュティフター(山室静訳)『森の小径・水晶』、C・I・ドフォントネー『カシオペアのΨ(プサイ)』、E・M・フォースター(吉田健一訳)『ハワーズ・エンド』と中村真一郎ヘンリー・ジェイムズの世界』だった。少年時代から愛読書だった片岡義男『音楽風景(『ぼくはプレスリーが大好き』改題)』は獄中では楽しく読めず、遠藤周作『沈黙』は仕方ないので再読したが(拘置所書庫の蔵書は推理小説、官能小説、20年前のベストセラーばかりだった)あまりの低俗さに怒りがこみ上げた。19世紀末フランスのSF小説カシオペアのΨ(プサイ)』はかねて読みたかった稀書なので嬉しかった。19世紀中葉ドイツのシュティフター、20世紀初頭イギリスのフォースターは出所後にも何度も読み返した。あの時ほど本物の文学に飢えていたのは学生時代以来だった。

 303房の未決囚や305房の親切なヤクザは少なくとも前科3犯、多い人だと前科17犯(!)という人たちだったので「あんたの場合はすぐ済むだろう。裁判は検察の告訴で1回、1週間後に判決で釈放。懲役3か月・執行猶予4年。これは最低判決なんで、これ以下には下がらない」事実その通りになった。「無罪を主張して控訴すれば別だが、裁判が長引くとここの暮らしが延びるしなあ。それにそこまでやってくれる国選弁護人はいないよ」実際国選弁護人も1回しか面談に来なかった。告訴内容を全面的に認める以外の助言はなかった。被告との面会では居丈高で、法廷では媚びへつらっているような人物だった。1時間あまり遅刻して裁判にやってきた検事は寝癖のついた髪のままで「被告の罪状は社会的、法的、倫理的に到底許されざるものではなく」と金切り声を張り上げるような恥知らずだった。「しかも警察担当者からの報告によると被告は拘置所内から被害者に私信を郵送しており、このことからも改悛の情は極めて認めがたく……」「それは本件とは直接関わりがないものとする」と裁判長。これは裁判の基本原則で、起訴状の案件に裁判開始後から別件を追加証拠とするのは違法とされている。そんなことは素人でも知っている。どうやら裁判長はまともだが、おれはこんな人たちに裁かれているのか、と暗澹とした気分になった。検事は懲役は3か月、ただし執行猶予は4年より長く求刑した。廊下を左右に刑務官に連れられながら裁判所の出口に歩いた。「お前だらしねえなあ、途中で自分の話を止めんなよ」と右側の中年刑務官。「あれは検事が割り込んだんじゃないですか」と左側の青年刑務官。ここでは、そして拘置所では裁かれる者も裁く者も人種としては等しい世界の住人に思えた。そして帰りの覆面バスも手錠と一列の腰縄で乗り込んだ。