人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

K県Y拘置所・未決囚監の思い出(2)

 釈放時には何のチェックもないが、未決囚の間は拘置所への出入りの時は下着一枚にされて金属探知機を通る。現行犯ならともかく留置場からの移送、裁判所への往復など隠し持つと違反になるものは入所時にすべて取り上げられているのだから(たとえば所持していた煙草はカートンごと没収・廃棄処分されてしまった。未決囚からは有罪無罪の結審も待たずに事実上完全な人権は剥奪される。個人が裸で国家と対峙し、完全な管理下に置かれる権限を国家が保有している)隠し持つも何もないのだが、これが規則なのだ。入所時に取り上げられるのは靴紐、ベルト、ネクタイなどの紐類。紐は凶器にも他の悪用にもなる。靴そのものも取り上げられてサンダルが貸与される。サンダルの脱ぎ履きには刑務官にサンダルの裏を見せて隠し物がないことを示さねばならない。

 裁判員制度の導入・施行に当たって条項に「被告のサンダルは靴に見える物にすること」という項目があるのは新聞報道の条項一覧にもあったが、未決囚経験のない人に(または司法関係者以外に)これを気に留めた人がいるだろうか。靴を没収された未決囚は結審で釈放(多くは執行猶予つき懲役判)されるまで裁判も便所の備えつけのようなサンダルで受けるのだ。一般市民から選出された裁判員は事情を知らないからサンダル履きで法廷に出てくる被告人に良い印象は受けない。そんなことまで裁判員制度の導入で考慮されるまで問題にされなかった。それまで傍聴人はサンダル履きで被告席に立つ未決囚を見ていたことになる。便所にあるようなサンダルで。なぜサンダルかといえばサンダルは走るのには適さない履き物だからだろうが、まだ未決囚の身でありながら裁判すらサンダルで受けなければならない屈辱は正当なものなのだろうか。裁判の時だけ靴に履き替えても被告席からは逃走はできないのに。

 第1回裁判は検察側の口頭弁論に始終した。告訴内容についてどう答えるかはもう決心がついていた。内容の大半が担当刑事による捏造であり冤罪を主張することもできた。だが反論すれば裁判と拘置期間が先の見えないほど長引くばかりか、別れた妻の再証言が求められることになるだろう。今では母子家庭になっている(それを望んで夫を起こりもしなかった条例違犯で告訴した)妻にはそれは負担が大きいし、何より娘たちにつらい思いをさせたくない。離婚自体はすでに協議成立しており、娘たちの親権は完全に妻だけのものになっている。もし告訴内容を否認して無罪となり釈放されても娘たちは妻のもので、これは父親が起こした問題てはなく夫婦の間に起こったことだと明らかにしてももはや娘たちは妻以外に法的な親はいないし、かつての父親はすでに親権を主張できない。つまり娘たちはこれから母を唯一の親として暮らしていく以上もう父親ひとりがすべての離婚原因を負って別れていくしかないのだから、告訴内容をまるごと認めるのがいちばん手っ取り早く、かつこれ以上はもめない解決策というしかない。判決は一週間後の同じ曜日に決まった。最低限判決の懲役3か月、執行猶予4年で釈放されるとしてあと一週間。留置場から数えればすでに禁錮4か月は経過している。ちょうど7月~8月を挟んだので検察・裁判所ともに交代制の夏休みに入り、処理の速度が半減していたからだった。早い場合なら逮捕から結審まで2か月で終わるというのに。

 裁判所の待合室は宇宙船のコクピットか食品貯蔵庫のように狭い。午後の部は拘置所の昼食後に裁判所に押送され、午前の部は朝から裁判所に着いて待合室で昼食をとる。「裁判所の飯はさ」と麻薬犯房の房長に教えられた通りだった、「いつも白飯の弁当とレトルトのおでんだぜ」。その通り折り詰めのご飯と未開封で温めてあるレトルトのおでんがレトルトごとプラスチックのボウルに入って出てきた。第1回裁判の時は50代のデイヴィッド・ボウイ似の女性的なおじさんと一緒に待たされた。服まで淡いピンクの花柄のシャツだった。私語はこういう時しかできない。「そうかい、つらいね」とおじさんは悲しそうに話を聞いてくれた。裁判の順はおじさんが先で、自分の順で金庫室のようなドアから出てくる時ちょうどボウイおじさんも終わって戻るところだった。帰りのバスに乗り込む時に整列しながらすれ違いざま「次はいつなの」「来週の同じ曜日です」「ぼくもそうだよ。また会えるといいね」会えないだろうな、と思った。金属探知機を通る時のおじさんはブリーフ一枚で心の傷を思わせるほど痛々しいくらい痩せており、正視に耐えなかった。

 雑居房303に戻るとヒマそうな房長が「どうだ、おでんだったろう」「おでんでした」房長は前科17犯の麻薬犯で303の未決囚は全員麻薬の生き字引みたいな人たちだった。初犯の人など一人もいなかった。傍聴人の数を訊かれ「8割くらいでした」と答えると多いな、と感心していた。裁判傍聴マニアというのがどこの裁判所でもついていて、裁判所では同時に数件の裁判が行われるから朝来て告訴内容を見てどれを見るか決めるらしい。つまり珍しい裁判ほど傍聴人が多い。「珍しいですかね」「珍しいんだろ」。第1回裁判を終えたら出所後のことを一人で考えたくて独居房に移室させてほしい、という希望はもう刑務官に話していた。実際に移室するその時まで誰にも言う必要はないだろう。306の前科者たちは「独居だけは絶対嫌だ」と言っていたし303でも独居房に移りたい、という人はいない。簡単に言えば彼らと自分では住む世界が違う。それだけのことだ。

 第2回裁判、すなわち結審は午後の部になった。裁判の日には特別に渡される電気カミソリでじっくりひげを剃り(ちなみに拘置所の電気カミソリはいちばんシンプルなタイプだがしっかり充電してあり、内部もきれいにメンテナンスしてあるようで抜群に良く剃れる。もちろんメンテナンスは懲役囚がやっている)、いつでも出られる心構えでいたが拘置所の昼食の時間になった。まだ八分目くらいしか食べていないうちに召集がかかった。「もうすぐ食べ終えます」「遅せいよ」バスに乗り込む前に探したがボウイおじさんはいなかった。午前の部だったのだろう。これまで会ったことのあるゲイの人とまったく同じ空気をまとっていたから、また顔を合わせたら一緒に住もうよくらい言われそうだった。ゲイの人は寂しがりやが多いのだ。少しホッとして今回は一人で金庫室のような待合室に入れられた。小テーブルに一冊だけ小説本が置いてあった。著者は瀬戸内寂聴だ。自分の身に今降りかかっていることを考えると瀬戸内寂聴の小説などちっとも読みたくない。それでも我慢して読み進めたのは、読書を続けている限り少しずつでも裁判の時間が近づいてくる実感が欲しかったからだった。