人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

K県Y拘置所・未決囚監の思い出(4)

 拘置所で未決囚が生活する衣食住の条件について書いておくのはあながち無意味ではないだろう。もっとも女囚房についてはまったく知らない。男性未決囚監の雑居房は8名~12名囚監で少なくとも6房あった。301から306、つまり3階に6室が男性未決囚監だった。女囚雑居房は1室か、それとも1フロアを当てられていたのなら収容人数は単純に男性未決囚の1/6とは限らない。男性未決囚監のように10人前後の単位で雑居房が設けられてはいなかったようなのは、隔週で回ってくる図書室からの取り寄せ図書カードの記載で何となく見当がついた。男性未決囚の場合は(部屋番号)303-(囚人番号)3036、といった具合に書くのだが(偶然部屋番号に似たこの囚人番号は語呂が良く点呼の時に返答しやすかった。語呂の悪い囚人番号の未決囚は大変そうだった)、女性未決囚の貸し出し記載は「女4642」といった具合に書いてあった。

 ちなみに男性未決囚の読書は推理小説と時代小説ばかり(しかもヴァイオレンス味の強いやつ)、女性未決囚の場合は恋愛小説ばかり(というより有名人の暴露本や渡辺淳一の官能小説ばかり)借り出しているのが図書カードの履歴からうかがえて、一度に100枚ほど回ってくるうち9割5分は娯楽小説やベストセラーのタレント本なのだが、古典と呼べるような(または古典に関する)本はいつも数冊あるかないかだった。なぜ拘置所の禁固状態の暇つぶしとはいえ安っぽい流行新聞小説のような卑近な内容の本が好まれるのか理解に苦しんだ。

 留置場で拘禁反応から生じていた幻覚や幻聴は拘置所に移送されて雑居房入りになった頃には治まっていた。拘禁反応から来る幻聴はひどかった。ドアーズの「Break On Through (To the Other Side)」とジェファーソン・エアプレインの「Somebody To Love」「White Rabbit」、ストーンズの「Paint It, Black」とブラック・サバスの「Paranoid」が一日中頭の中で鳴り響いて止まらない。どれも短調のドラッグ・ソングばっかりで陰々滅々としてくる。これなどまだ良い方で、後に精神病院の入院で知り合った桑原くん(仮名)などは留置場で統合失調症が発症した。彼の体験した幻覚では壁や天井から無数の腕が生えてきて蠢いていたという。

 桑原くん(仮名)は金を貸していた遊び仲間をぶん殴って暴行恐喝容疑で起訴され突然逮捕された男で、収監中に生後1か月の男の子を連れた奥さんに逃げられて離婚が成立していた。そこまではおたがいかなり似たような目に遭っている。ただし桑原くんの収監されたO拘置所(彼は容疑確定後に逮捕されたので留置場~拘置所ルートではなく、最初から拘置所の独居房に収監された)では食事は不味かったという。拘置所食は特に統一規格はないらしく、所によってかなり違うらしい。同じ県でもY拘置所の食事は悪くなかった。麦混合米でも炊き具合に不満を感じるようなことはなかったし、おかずも豊富で並みの定食屋よりよほど良かった。

 留置場で2か月半、拘置所移送後は結審後執行猶予で釈放されるまで1か月半を飼い殺し(刑務所で過ぎる時間には、この表現がいちばん実感に近い)された勘定になるが、衣食住の話をすれば留置場の2か月半で入浴にあずかったのは2回しかない。11週間あまりの間に正味2回、その他シャワーすらなかった。この2か月半は起訴状と容疑が確定されているわけではなく、被疑者として「任意拘置」を強制され10日ごとに書状に拇印を取られる。警察権力による「任意」とはこういうことだ。不審者として「任意」逮捕すれば警察署内の留置場、または拘置所に10日更新の「任意」拘置をいくらでもすることができる。むしろ起訴状と容疑が確定して正式に裁判待ちの拘置所収監移送後の方が食事、運動、入浴など健康に関する規定(内容は拘置所ごとに多少の違いはあるが、最低限の規定)は保証されている、と言ってよい。

 留置場はもう6月~7月なのに、地下室(半地下だった)の檻に閉じ込めて2か月半に肌着の替えすらほぼ2週間おき、入浴に至っては2回しか考慮されなかった。少なくともT警察署留置場ではそうだった。ひげ剃り、爪切りは昼食後10分間の日光浴の時間に半地下の駐車場1台分ほどの中庭でできる。逮捕時の所持品、または所持金から希望すれば日光浴の時間に喫煙が1本だけ許される。拘置所では所持品の煙草は没収廃棄、完全禁煙だったから煙草に関してだけは留置場の方が少しマシになる。日曜日だけは日光浴がなく煙草も喫えず、毎週ラジオで昼のNHKのど自慢を聞かされた。

 大正時代の大杉栄の獄中記を読むと食事は粥飯か麦飯に味噌汁、漬け物で、寝具には蚤と虱がうようよしていたそうだが、食品、酒、煙草の差し入れは自由で拘置所内で普通に肴をつまんで酒を呑み、喫煙自由だったと書いている。蔵書差し入れ可で獄中で翻訳などして決して無駄な時間を過ごしていない。現在の留置場~拘置所システムは司法の文書差し回し期間だけ裁判まで未決囚を監禁しておくだけのためのもので、一度未決囚になったら、仮に結審では執行猶予でようやくシャバに保釈されるにせよ、それは確実に最短でも2か月~4か月の人生を獄中で奪われてしまうことを意味する。

 大多数の人が考えることはわかっている。そんな目に遭うのは本人に何か起訴されるべき罪状があったのだろう、たとえ落ち度・過失としても何らかの犯罪加害者と見なされるだけの違法行為に及んでいたのだろう。大多数の人は、つまり法によって自分が護られていると考え、法による秩序を支持し、信頼したいと願い、幸いに何事もなく済んでおり、仮に被害者の立場に立てば徹底的に法による制裁を加害者に下してほしいと望んでいる。自分自身が端的に言えばそういう人間だったからそれがわかる。安全運転するのは他人を傷つけたくないからではなく加害者になった場合のリスクを避けたいからだし、盗みをしないのは相手方に損害を与えたくないからではなく露見した場合のリスクが大きいからだ。つまり事故保身でしかない。

 虐待、強姦、殺害。死刑制度廃止反対。法による犯罪抑止力、つまり自分も法による抑止を遵法するが法による抑止力がなければ誰しもが被害者になり得るから自分が被害者になるのは御免だ。日本人は神の概念、つまり信仰をを知らないというが神の代わりに法があるのなら、法により嫌疑をかけられた人間はそれだけですでに罪人の烙印を捺されるに等しく、これほど強固かつ他人任せで無責任な信仰はあるまい。これは本質的にはリンチの肯定に基づく。被疑者/未決囚は判決を待たずして拘置中から犯罪者として扱われる。もちろん現行犯の場合もあるし、準現行犯の条件下で逮捕拘置される場合も当然ある。だが日本の平均的現行条例(憲法ではない)では住所不定無職というだけで十分に処罰の対象になる条件を満たす。

 住所不定無職になった途端担当刑事がつき(刑事とは本当に二人一組なのだと知った。何という税金の無駄使い。あいつらの顔は忘れない--他人を陥れることを何とも思わない顔)、泊まり歩く先々を刑事に尾けられ、1週間経って突然制服警官の覆面パトカーに逮捕された時は何の冗談だと思った。カフカの『審判』も突然主人公K(このイニシャルはいい)が逮捕され、それから毎日のように役所の仕事帰りに査問を受けに検察通いを強制される話だが……そしてある日Kは突然死刑判決を言い渡され「犬のようだ」と思いながら死んでいく。

 実は近年の研究ではこれは最終章ではなくKは死なずにまだまだ話は続いていく構想で、無罪を主張するKはユダヤ教的解釈では無罪を主張するが故に死刑に値する、というのがカフカの意図だったともされている。ところでT警察署留置場にぶちこまれたKは保健所と警察の連携で推奨され起訴準備中の、調停離婚直後の別れた妻の訴えによって逮捕され、この先4か月間に渡る監禁生活を送ることになったのだった。ついこないだまで愛しあっていたはずの女に寝首を掻かれるなど陳腐なメロドラマは、今どきではフランス映画でもやらない。

 住所不定の間に結局学生時代から住み馴染んだこの町ではすぐに入居できる物件は見つけられなかった。もう県内で私鉄で30分離れた父と義母の住む実家に一時身を寄せて、実家とは折り合いは悪いがその町では物件が豊富だから即入居可のアパートに最短日で入居して定住居を決めるしかない。2年前に公務員である妻の個人名義で購入したマンションに別れの挨拶がてら取りに行きたいものがある。キッチンの抽き出しにしまった結婚指輪で、水仕事は引き受けていたので外してあったものだ。別れた妻にその旨電話し、湿っぽい駅前旅館からマンションに行った。集合ポストにはまだ離婚後2週間なのに岩彫りで妻の旧姓の表札が嵌め込まれていた。分譲マンションなので中から開けてくれないとエントランスにも入れない。何度ベルを鳴らし、携帯電話で呼び出しても不通だった。この時点で気づくべきだったのだが途方にくれた男は間抜けすぎ、お人好しすぎた。マンション向かいの塀にもたれかかってボーッとしていると、大型車が迫るように目の前に止まり制服警官二名が左右から腕をつかみ覆面パトカーに間抜けを押し込んだ。これが別れた妻の通報であり、協議離婚の条件内にある60日間の接近禁止条例に基づく逮捕だったとは第1回裁判直前の国選弁護人に見せられた別れた妻を原告とする告訴状を見せられるまで知らなかった--無論獄中で落ち着いた頃に気づいてはいたが、彼女がそんなことをするとは信じられなかっただけだ。結審を終えて電話で釈放を報告し、告訴しなくてももう家を出ていたのに、と尋ねると、彼女は「刑事さんが後から持ってきた告訴状にサインするように言われたのよ」と迷惑そうに答えた。「それでぼくは4か月も牢屋にぶちこまれたんだ」「そんなに長くなるって知らなかったのよ!」つまり点を稼いだのは担当刑事ばかりなり、ということか。糞野郎共奴。

 冷静に書こうとしても煮えたぎる憎悪を抜きに留置場~拘置所で過ごした4か月間について書くのは難しい。あの4か月は4年にも感じた。殺人犯ですら実刑8年の標準判決を受けても模範囚ならば4年で保釈を受けられる。つまり殺人犯の刑期4年と匹敵する苦痛を経験してきた4か月間の未決囚監収容だった。釈放後、精神疾患の診断を受けてこのブログを始める前の2年半で4回、合計10か月の精神科病棟への入院生活を送ったが(30か月間に10か月!)、未決囚監だって結審までは囚人の健康を何が何でも保護することでは監禁環境下で患者の健康状態を保全する精神科病棟と施設の性格としては変わりない。監禁下に置かれた人間は何から隔離されているか、という根本を考えると何より「自由と孤独」から隔離されているので、つまり「希望」から隔離されているのと同じだろう。囚人が自由、孤独、希望を剥奪されてしかるべきとされる存在であるように、精神科病棟入院患者もまた自由、孤独、希望を許されない扱いを受ける。そうしたことを思うにつけて湧き上がってくる憎悪の源泉は何か、それは経験的に徐々に見聞したことから心に深く刻みこまれた。

 囚人と精神障害者と移民は隔離そして世間との干渉から排除すべし、これはナチスがやったことでもあるが、それが現実的には今日の日本でも効力を持っているからだ。それが法なり医療なり国民感情の定めた善処であり、現実的な根拠があることを目の当たりにしてきた。これが怒りと憎しみの源とならずに何になるだろう。怒りと憎しみの対極にあるのが優しさと愛ならば、なぜ優しさも愛も人にとってこれほどに無力でしかないのだろうか。

 今回の拘置所の思い出は感情が強く出過ぎて失敗だ。具体的に数回に分けて留置場~拘置所では被疑者/未決囚はどのような生活に置かれるかを衣食住の面から詳述しておこうと書き始めたが、先月16歳になったばかりの高校1年生の次女との10分ほどの通話を思い出していたら(前回話したのは中学1年生の時の誕生日、今年は別れてからちょうどまる10年経っている)、今年短大の保育科に進学した長女(今度の秋に19歳になる)ともども、民事訴訟による調停離婚の欠席裁判で(裁判所からの呼び出し状は別居中のウィークリー・マンションでは心身消耗から書き留めを受け取れる状態でなく被告人の夫K欠席のまま妻の要望通り離婚要求が成立し)、娘たちの親権は監督権、扶養義務、面接権すべてに渡って別れた妻ひとりが引き受けることになった。43歳の男の10年間に大して容貌の変化はないだろうが8歳と6歳の娘の10年後など想像を絶して、おそらく会っても娘たちだと判別できる自信はまったくない。まだ5~6年前、つまり姉娘・妹娘もローティーンで小中学生の頃なら容姿を思い描くことができ、離婚後住んでいるアパートの真ん前が小学生の集団登校の集合場所で通学路なので小学生の嬌声が聞こえるたびに胸が張り裂けた。今では現在の娘たちの年齢という事実の方がはるかに大きく、あんな騒々しくも可愛らしい頃があったなあと思うだけだ。娘たちも成長盛りで父親の面影など思い出すこともなければ、事実上思い出せまい。

 前科者になったことなどきっかけで遅かれ早かれ結婚生活の末期に兆候があった双極性障害とパーソナリティ障害はいずれ本格的に発症しただろうから妻からの調停離婚要求は時宜にかなったものだった。別れたい妻子や昔の女や仕事仲間の夢にうなされてハッと目覚めると今は一人暮らしの療養生活なのに気づいてほっとする。世間との接点は生活上ほとんどない。これは病人にとっては望ましい状態かもしれない。だがそのために払わなければならなかった経験が今でも心の中に大きく影を落としている。拘置所ではエレヴェーター内では壁を向いて直立する。手動のドアは刑務官が開け閉めするまで壁を向いてやはり直立しなければならない。自宅アパートはともかく、エレヴェーター内では壁を向く、余所のドアノブは触れない抵抗感(精神科の診察は看護婦の補佐なしで主治医とサシになるので、患者がドアを開け閉めしなければならないのだ)は払底されていない。次回をまた書く気が起きれば、今回みたいな中二病的作文ではなく、即物的に留置場~拘置所生活の衣食住に今度こそ絞って書きたい。実は大学ノート3冊分あまり、すでに獄中生活記の草稿はまとめてある。課題は記録的客観性を保ちつつ現在の観点から一貫した回想記にまとめ直せるかだが、結果はご覧の通り。この思い出話は一定した立場と時制に統一して編年順に過去を振り返るという意図からすでに大きく逸脱してしまっているのではないか。