人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ラヴィン・スプーンフル The Lovin' Spoonful - ハムズ・オブ・ザ~ Hums of the Lovin' Spoonful (Kama Sutra, 1966)

イメージ 1

ラヴィン・スプーンフル The Lovin' Spoonful - ハムズ・オブ・ザ・ラヴィン・スプーンフル Hums Of The Lovin' Spoonful (Kama Sutra, 1966) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PLH-Z9W9MZCGEjjfIaeIA0qi6FX8i8W-QT
Recorded in 1966 at Bell Sound Studios and Columbia Studios, New York, NY and in Los Angeles, CA
Released by Kama Sutra Records Kama Sutra KLP/KLPS-8054, November 1966 / US#14(Billboard)
Produced by Erik Jacobsen
(Side One)
A1. ラヴィン・ユー Lovin' You (John Sebastian) - 2:29
A2. ベスト・フレンド Bes' Friends (J.Sebastian) - 1:54
A3. ヴゥードゥ・イン・マイ・ベイスメント Voodoo in My Basement (J.Sebastian) - 2:29
A4. ダーリン・コンパニオン Darlin' Companion (J.Sebastian) - 2:22
A5. ヘンリー・トーマス Henry Thomas (J.Sebastian) - 1:43
A6. フル・メジャー Full Measure (Steve Boone, Sebastian) - 2:42 / US#87(Billboard)
(Side Two)
B1. レイン・オン・ザ・ルーフ Rain on the Roof (J.Sebastian) - 2:13 / US#10(Billboard)
B2. ココナッツ・グロウブ Coconut Grove (J.Sebastian, Zal Yanovsky) - 2:43
B3. ナッシュヴィル・キャッツ Nashville Cats (J.Sebastian) - 2:35 / US#8(Billboard), UK#26
B4. フォー・アイズ Four Eyes (J.Sebastian) - 2:53
B5. サマー・イン・ザ・シティ Summer in the City (John Sebastian, Mark Sebastian, S.Boone) - 2:45 / US#1(Billboard), UK#8
[ The Lovin' Spoonful ]
John Sebastian - lead vocals(A1, 2, 4, 5, B1-5) and backing vocals, guitar, 12-string guitar, autoharp, piano, organ, ocarina, pedal steel guitar, Irish harp
Zal Yanovsky - electric and acoustic guitars, backing and lead vocals(A3), banjo, slide whistle
Steve Boone - electric and double basses, piano, organ, percussion
Joe Butler - drums, backing and lead vocals(A6), percussion
with
Henry Diltz - clarinet
Artie Schroeck - electric piano (B5)
Larry Hankin - Jews harp

 ついに全曲をジョン・セバスチャンのオリジナル曲(メンバーとの共作含む)で固め、シングルヒット曲4曲、うち3曲はトップ10入りしそのうち先行シングル「Summer in the City」(共作者のうちマーク・セバスチャンはジョンの弟)はスプーンフル最大にして唯一のNo.1ヒットに輝く本作をラヴィン・スプーンフルの最高傑作に上げる評者は多いでしょう。オリジナル・アルバムとしては第3作に数えられますが、第2作『Daydream』1966.5と本作の間にウディ・アレンの初監督作のサウンドトラック・アルバム『どうしたんだい、タイガー・リリー(オリジナル・サウンドトラック) What's Up, Tiger Lily? Original Soundtrack Album』1966.9があり、本作の名曲B2「Coconut Grove」は同サントラ盤のインストルメンタル曲「Lookin' to Spy」に歌詞をつけた改作です。このジャジーな名曲はイギリスのヴァーティゴ・レーベルの伝説的女性ヴォーカル・オルガン・ジャズロックバンド、アフィニティのアルバムでカヴァーされており、案外プログレッシヴ・ロックのリスナーにはアフィニティのヴァージョンで知った人も多いのではないでしょうか。
 前作『Daydream』(何とディランの『Blonde On Blonde』とビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』と同月発売)でイギリスのバンドとリスナーにも衝撃を与えたスプーンフルですが、本作はジャグバンド・スタイルのグッドタイム・ミュージック路線を踏襲しながら前2作よりもイギリスのロック寄りのサウンドが聴かれます。それはやはりビートルズの『Rubber Soul』1965.12と『Revolver』1966.8からの影響が大きいでしょう。またザ・バーズの『Fifth Dimension』1966.7とヤードバーズの『Over Under Sideways Down』1966.8(イギリス版『Roger The Engineer』の改題再編集版)はそれぞれビートルズの最新作『Revolver』を1曲に凝縮したかのような強烈なインパクトを放つ画期的なスタイルの先行シングル「Eight Miles High」「Over Under Sideways Down」を含むもので、バーズはフォーク・ロックから、ヤードバーズはブルース・ロックからギターのラーガ奏法で偶然サイケデリック・ロックの始祖となるような楽曲を生み出したのです。そこまで来ると英米ロック歩み寄りは進んで、先にクリームがデビューして英米両国で成功をおさめていたとはいえ、1966年末にはアメリカ黒人のジミ・ヘンドリックスが独創的なブラック・ロックでイギリスからデビューすることになります。スプーンフルもごく自然に英米ロックのスタイル融合の動きに乗っていたと見ることができます。

(Original Kama Sutra "Hums Of The Lovin' Spoonful" LP Liner Cover & Side One Label)

イメージ 2

イメージ 3

 しかし1966年夏を代表するヒット曲はスプーンフルの「Summer in the City」でしょう。後にヴィム・ヴェンダースが真冬のミュンヘンからアムステルダムまでの旅程をさ迷う男を描いた卒業製作の第1長編『都市の夏』1970に逆説的にタイトルを借りていますが、ヴェンダースの同作には主人公が点けっぱなしのホテルのテレビで放映中のキンクスの「Days」が1曲まるごとテレビごと撮影されているなど、スプーンフルとキンクスの類似性を暗示するような場面があります。1967年夏のヒット曲というとバッファロー・スプリングフィールドの「For What It's Worth」の冷えびえとするような不穏さがふさわしくなるのですが、1966年にはまだ都市の夏に心をときめかせるようなスプーンフルのスリリングなヒット曲がふさわしかったでしょう。アルバム最終曲に置かれた同曲はもう一度イントロと同じパターンからフェイドアウトしていくので、再びアルバムの冒頭曲の軽やかなA1「Lovin' You」に戻ってアルバムをくり返し聴きたくなります。本作の多彩な楽曲はアルバム全体をメリハリのついた構成にしており、B5「Summer in the City」の前にスプーンフルにしてはもっともヘヴィな、スライド・ギターが縦横無尽に唸るB4「Four Eyes」が配されているのも上手い構成です。"Four Eyes"とは本で読んだか映画で観たか忘れましたが、眼鏡をかけた人への蔑称として使われる英語の俗語慣用句だった覚えがあります。眼球が2つ、レンズが2つで合わせて"Four Eyes"というわけです。他の曲も面白い着想の歌詞と美しく可愛らしいメロディに溢れ、同時期のキンクスの作風にもっとも近いものですがキンクスはスプーンフルからの影響で1966年の『Face To Face』以降の作風に進んだのは前述の通りです。またキンクスのレイ&デイヴ・デイヴィス兄弟はジョン・セバスチャンよりも屈折したセンスがあり、スプーンフルはキンクスほどノスタルジックではなく風刺的でもありません。
 前述の通り収録した実績の大きいヒット・シングルを満載したアルバムの割には前作『Daydream』のチャート10位から本作は14位に下がりましたが、1966年はまだアルバム・セールスが全米5万枚で大ヒット・アルバムだった最後の年で、翌年ビートルズが『Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band』1967.6をリリースした前後から戦後ベビー・ブームの頂点の世代が成人し、レコード・マーケットは突然活況に入り、それまで厳重だったアメリカのレコード協会の規定も緩和されます。例えばレコード裏ジャケットのカラー/白黒印刷、著作権法による収録曲数の制限、クレジットの明記などが1967年を境に緩和され、12曲を越える収録曲数、裏ジャケットのカラー印刷とヴィジュアル重視による著作権上のデータの省略などが可能になります。それまではアルバム・ジャケットにアルバム名もアーティスト名もない装幀のゲートフォールド(見開き)ジャケットなどは禁止されていたのです。スプーンフルも1967年9月発売の第4作『Everything Playing』では裏ジャケットもカラー印刷になります。1969年に初めて100万枚を越えるセールスを記録したアルバムは前年発売からロングセラーを続けていたアイアン・バタフライの『In-A-Gadda-Da-Vida』で、10万単位のセールスがヒット・アルバムの基準になっていきます。その頃にはラヴィン・スプーンフルは解散していましたから、実売稼動数は当然としてもラジオ・オンエアによる著作権料発生数がチャート上大きく算定された時代のアーティストとして、スプーンフルはビッグ・ヒットを放ったバンドではありましたがメガ・セールスを誇ったバンドではありませんでした。1967年アメリカの年間アルバム・チャートNo.1はビートルズでもビーチ・ボーイズでもなくジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのデビュー作『Are You Experienced ?』でした。スプーンフルの存在感が急速に薄れてしまっても仕方ない時代が到来したのです。