人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

また麻婆豆腐、または麻婆丼の話の続き

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 また麻婆丼、この前はいつだったか記憶にないが少なくとも年2回くらいは載せているような気がする。年2回とまではいかないかもしれないが3年に2回くらいは載せているのではないか。麻婆丼を食べる頻度からすれば少ないのは確かで、特に好物というのではないが挽き肉と薬味いりの凝縮スープととろみ粉入りセットの「麻婆豆腐の素」が手軽で簡単、かつ経済的なので年に数回は食べる。充填豆腐が豆腐では一番安いがあれは絹ごしというよりプリンみたいなもので崩れやすいので、切り出しの木綿豆腐に限る。豆腐の値段はピンキリで3丁100円から1丁600円くらいのものまであるが、切り出しの場合の底値は1丁350gのものでほぼ50円といったところ。麻婆豆腐にするならこれで十分というか、どうせ市販の素を使って作るのだから高価だったり手間がかかりすぎたりしては本末転倒だろう。料理となると二言目には「本格的には」と言うタイプの人がいるがもし本格的というなら大豆の栽培や豚の飼育とまではいかずとも、自家製豆腐作りや自家製挽き肉入りスープ作りから始めなければ「本格的な」麻婆豆腐ではない、というならそんな面倒なものは作らない。そもそもたかだか独身男の一人飯がそこまで凝ってどうするというのだ。

 市販の「麻婆豆腐の素」で一番多く出回っていて、つまりスーパーの特売にもよく出るものは3人前・2回分のセットで、これはまあ現代日本核家族化に対応したパッケージなのだろう。4人家族未満か以上か、食べ盛りの年齢の家族を含むかで1回分で済ますか2回分一度に調理するかを調整すれば良い。問題なのは一人暮らしの独身者の場合で、1回分を調理すると標準量なら3食分、大盛りで食べても2食分といったところで、一度に3人前を食べるのは飽きる。だが3食に分けて食べるのも飽きがくるので、1回分作ってしまうとこれを一人で食べ切るまでは心置きなく成仏もできんのか、と遠い目になってくる。しかし1回作れば先3食は鍋の中にあるのはデメリットよりメリットの方が大きいので、夏場は土鍋ごと冷蔵庫に入れて置かねばならないが、明日か明後日まで思いついた時にすぐ食べられるのは実にありがたい。

 そうした次第で比較的麻婆豆腐は食べている方だと思うのだが(カレーやシチューは手間と食材費を量ると出来合いのレトルト食品の方が安くつく。自家製の方がずっと具沢山で美味しいから残念なのだが、常温で日持ちするには冬場に限られるし、鍋一つ塞がってしまうのが不便でもある)、いったい1年に何食麻婆豆腐を食べているのか、とふと疑問に思わないでもない。たぶん餃子と焼売なら年100食ずつは食べている。あ、もちろん出来合いのだが。これも手間と食材費を思えば手作りはあまり見合わない。餃子と焼売については心底好物だと言えるので特売品が出ていれば数食分は買い、冷凍庫に余裕があれば非常食用に多めに買って冷蔵もしておく。実に便利でありがたいのだが、さて麻婆豆腐となると格別好物というわけではなく、豆腐は冷や奴か揚げ豆腐をソテーしたのが好きで、特に揚げ豆腐を焼いて削り節とおろし生姜を添えて酢醤油でいただくと実にご飯が進む。冷や奴だとご飯のおかずという感じではない。冷や奴は絹ごしでも木綿でもいいが、揚げ豆腐でもなければ麻婆豆腐にするのが麻婆丼にできて食事にするには向いている、と消極的な理由で麻婆豆腐にしているにすぎないとも言える。冬場だと薄切り牛肉と一緒に牛丼+豆腐ですき煮丼、これはご飯ではなくうどんでもいいが、やはり冬場のものだろう。とにかく麻婆豆腐は食べたくて麻婆豆腐を食べているというより、週末にでも一食ずつの調理は面倒だからとりあえず作っとくか、と適当に食事を済ませるつもりの時のメニューなのは否めない。いちいち考えていないので覚えていないくらいだ。前回はいったいいつ麻婆丼を作って食べたか。

 たぶん春先くらいだったようにも思えるし、1か月以内でないのは確かなような気がする。麻婆豆腐と麻婆豆腐の間には少なくとも1か月の合間がないと麻婆豆腐でも食べるかな、という気が起こらないと思われる。それより多い頻度で麻婆豆腐を食べている人はよほど麻婆豆腐が好きなのだろうと思えるし、世の中には牛丼が主食という主に男性も都市部には多いだろう。週に5日は牛丼を食べても飽きない人がいるなら週に5日は麻婆豆腐を食べる人がいてもおかしくないか思うと、やはり麻婆豆腐では無理がないか。これをラーメンでもカレーでもハンバーガーでも何でもいいが週5日いけるかと言えば、想像がつかないわけではない。しかし麻婆豆腐チェーン店というのが現に存在しない以上、麻婆豆腐がそれだけ頻繁に食べられているメニューではないということにはなるだろう。結局麻婆豆腐とはどのくらいの頻度で食べるのが適正か正直言ってよくわからないと結論するしかなさそうで、例えば社員食堂で麻婆系統の料理しか出さない企業で業務成績がどれほど左右されるか、そこまで無茶でなくてもキムチ鍋牛丼しか出さない牛丼チェーンで売り上げの消長がどうなるかのような実験でも行われれば人はどこまで麻婆豆腐のみで生きられるか(または人は麻婆豆腐のみで生きるにあらずか)が明らかになるかもしれない。いやすでに、国民一人当りの麻婆豆腐の消費量など算定されているとは思うが、自分がその平均値とはどれほど近いか離れているかは普段あまり考えていもしなかった。となれば人生は野菜スープ(ミネストローネ)ではなく、むしろ麻婆豆腐と言い換えるべきなのだろうか。