人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年10月1日~3日/ハワード・ホークス(Howard Hawks, 1896-1977)の男の映画(1)

 今回からはアメリカの映画監督、ハワード・ホークス(Howard Hawks, 1896-1977)監督作品から27作を観ていこうと思います。ホークスの全監督作品は46作になるそうで、初監督作品は1926年の『栄光への道』The Road to Glory、遺作は1970年の『リオ・ロボ』Rio Loboと長いキャリアを誇った人です。46作のうちサイレント作品は8作、共同監督2作、オムニバス参加1作、演出協力1作、匿名監督3作になり、今回観る作品はサイレント時代からは1作のみですからトーキー作品では38作中26作になり、全作品からは6割弱ですがトーキー作品からは7割強を観ることになります。初見の作品も数本あって楽しみですがホークスの映画の大半は何度観ても面白く観られるもので、アメリカの映画監督で巨匠を5人上げればジョン・フォード(1895-1973)とともに必ず入る大家でしょう。ホークスは地元の富豪の実業家の長男に生まれ、大学で機械工学を専攻する傍らプロのオート・レーサーとして活躍し、レーサー仲間の友人ヴィクター・フレミング(のち『オズの魔法使』『風とともに去りぬ』の監督)の紹介で映画撮影所のアルバイトで働きました。大学卒業後1年間正式に撮影所に勤めてから一旦2年間の兵役に就き、飛行士訓練を受けて空軍のパイロット養成所教官として働き、映画界に復帰後はプロデューサーとして当時流行の短編喜劇の製作に当たり、映画の長編化の気運にシナリオライターに進出してパラマウント社で2年間に60本ものシナリオとプロデュースを手がけ、メトロ社への移転を経てフォックス社に入社し、念願の監督に進出します。サイレント時代の映画人たちはほとんどが少数民族系移民1世か2世の学歴もなく売れない貧乏なセミ・プロ舞台人か水商売上がり(たびたびその両方)ばかりだったので、ホークスのように実業家の家系の上流中産階級出身で大学卒(ホークスの場合はレーサーや撮影所で過ごした体験の方が大きかったと思われますが)の映画監督は当時珍しい存在だったそうです。ホークスに近い(女好きなのも共通する)実家が裕福で高等教育を受けぶらぶらした後に映画監督になった人には画家ルノワールの息子ジャン・ルノワール(1894-1979)がおり、ルノワールの場合は自主製作で長編映画を作ってデビューしましたが、フランスの映画監督だったからこそそうしたデビューもできたので、アメリカの映画界ではメジャー映画会社で実績を上げ全米、また世界的な配給網に乗せないと映画監督としては認められない事情がありました。今回も作品紹介は「キネマ旬報」の「近着外国映画紹介」から引用させていただきましたが、これらはすべて日本公開予定時に雑誌に掲載されたもので、ホークス作品は(第2次世界大戦中を除いて)ほとんど全米公開から即座に日本公開されているのがわかります。ホークスはサイレント時代からすでにメジャーなヒットメーカーで、遺作までその実績が続いた点でも稀有な成功を収めた監督でした。時代の先を行き過ぎて興行的に失敗した作品もありますが、それらも現在では傑作と認められているのです。

●10月1日(日)
『港々に女あり』A Girl in Every Port (フォックス'28)*78min, B/W, Silent; 日本公開昭和3年8月(1928/08) : https://youtu.be/Iu-Rpe8x3vo (Full Movie)

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ジャンル ドラマ
製作会社 フォックス映画
配給 フォックス支社
[ 解説 ] 「栄光への道」「雲晴れて愛は輝く」等の監督者ハワード・ホークス氏の原案に基づきジェームズ・ケヴィン・マッギネス氏がストーリーを立て、シートン・I・ミラー氏がそれを脚色したものから、ホウクス氏が監督したものである。主役は「栄光」「カルメン(1927)」出演のヴィクター・マクラグレン氏で「オール持つ手に」「狂乱街」等出演ののルイズ・ブルックス嬢が特にパ社よりフォックス社に借りられて相手役を勤め、舞台出のロバート・アームストロング氏がまた重要な役を演ずる。その他、リーラ・ハイアムス嬢、マリア・アルバ嬢、フランシス・マクドナルド氏等、助演。
[ あらすじ ] スパイク・マッデン(ヴィクター・マクラグレン)はある不定期船の一等運転士で、生粋の海の男であった。彼は世界中を股にかけていた。で、彼は世界中の港々に馴染みの女がいた。彼はその女に会うのを楽しみに航海を続けていた。が、近頃、彼には腐りが続いている。オランダの馴染みの女はもう結婚して子供まで成していた。その地で新たに出来た女には「ハートと碇」の印を紀念に残していった情人が既に居た。リオ・デ・ジャネイロでは馴染みの女には無頼漢が付いていたし、その上、この女にも「ハートと碇」の紀念が残されていた。パナマのある怪しい酒場で、彼はひどく何事にも自信のある顔をした水夫が癪にさわった。その男とスパイクは女の事から喧嘩し、揚げ句の果て、乱暴を働いたので2人とも牢にぶち込まれる。が、その中に喧嘩相手が無二の切っても切れぬ親友となって、どこへ行くにも2人連れという事になった。で、このビル(ロバート・アームストロング)という水夫もスパイクと同じ船に乗り組む事となり、この船がマルセイユに着いた時、計らずビル1人は歯痛で船に居残り、スパイク1人が上陸した。スパイクはここで軽業をしている女ゴディヴァ(ルイズ・ブルックス)と知り合いとなった。彼はたちまちこの女に夢中になった。この女と結婚できるならば何を棄ててもいいという気持ちになってしまい、船とも別れてしまった。ビルも友達を見棄てるに忍びず、彼も船を棄てたが、このゴディヴァも元を洗えば、コニィ・アイランドでビルと馴染みだった女なのである。ビルはこの女に友が欺かれて居るのを見て、大事に至らぬ中にと色々と心を碎いていたが、それも仇となりスパイクはビルを誤解し、怒りの雨を降らせた事もあったが、やがてまた誤解もとけ、2人は以前と同じの親友となった。

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 デビュー3年目にして早くも第5作(本作と同年には3作の監督作あり)、その後のホークス映画のほとんどのテーマになる「男の友情」が初めて強烈に描かれた作品が本作といわれます。アメリカ映画は1928年にトーキー技術が実用化され、1929年にはトーキー化が進むので、本作公開年は純粋なサイレント映画時代最後の年で世界的にもサイレント映画の円熟した傑作が陸続し、本作のヒロインのルイーズ・ブルックスにはもう1本の代表作『人生の乞食』'28があり、1929年の第1回アカデミー賞は1927年・1928年両年を対象としたため作品賞は『サンライズ』'27(フリードリヒ・W・ムルナウ)と『つばさ』'27(ウィリアム・A・ウェルマン)、監督賞はフランク・ボーゼージ(『第七天国』'27、『街の天使』'28)に与えられました。1928年のアメリカ映画には他にも『チャップリンのサーカス』『ロイドのスピーディ』『キートンの蒸気船』、『男女の戦』(グリフィス)、『結婚行進曲』(第2部散佚・シュトロハイム)、『港の女』(ウォルシュ)、『四人の息子』(フォード)、『四人の悪魔』(現在散佚・ムルナウ)、『風』(シェーストレム)、『群衆』(ヴィダー)、『紐育の波止場』(スタンバーグ)、『陽気な踊り子』(キャプラ)、『暴力団』(マイルストン)と名高い作品が並び、エルンスト・ルビッチは早くもトーキー第1作『The Patriot』(現在散佚)を発表していますが、ホークスの本作はヒット作品になったものの評価はさほどでもなく、ルイーズ・ブルックス出演作ならウォーレス・ビアリー主演の『人生の乞食』(ウェルマン)の方が評判を集めたようです。不良少年上がりで第1次世界大戦ではフランス外人部隊のエース・パイロットだった経歴を持つウィリアム・A・ウェルマン(1896-1975)の映画はホークス作品と似た面が多く、航空=戦争映画『つばさ』'27・『G・I・ジョウ』'45・『戦場』'49、人情ドラマ映画『人生の乞食』'28、ギャング映画『民衆の敵』'31、冒険映画『野生の叫び』'35・『ボー・ジェスト』'39・『男の叫び』'53、芸能映画『スタア誕生』'37、異色西部劇『牛泥棒』'43・『西部の王者』'44・『女軍西部へ!』'51などキング・ヴィダー(1894-1982)やフランク・キャプラ(1897-1991)と並んでフォード、ホークスに次ぐ大物ですが、多彩な作風とキャスティングの上手さ、題材の先取性など共通点が多い一方演出はホークスよりやや扇情的・感情的で、フォードやホークスとウェルマンやヴィダー、キャプラを分けるのはそうした直情的なインパクトです。フォードやホークスの場合は抒情やユーモア、悲しみもドライなのですがキャプラやヴィダー、ウェルマンは非常にわかりやすい形で喜怒哀楽を映像にしてしまうきらいがあり、その分同時代の大衆的な人気はヴィダーやウェルマン、キャプラ作品の方が高かったものの、時の風化に耐え得る風格はフォードやホークスにあったと言えるようです。ホークスの本作はコメディなので(キネ旬のジャンル分類は当時の理解を示す資料的価値はありますが、けっこう適当です)、人情ドラマの『人生の乞食』や『陽気な踊り子』『群衆』のような問題性のある話題作にはなりませんでしたが(もっとも『陽気な踊り子』もコメディですし、ヴィダー渾身の傑作『群衆』はあまりに暗い内容に興行的大失敗を喫しましたが)、一人の美女をめぐる二人の親友の男という単純な話を気持ち良く描いて気取りも臭みもなく、サイレント時代の長編映画の平均的な80分程度の長さを生かした密度の高さを風通しもいいテンポで観せてくれる作品です。カメラマンが二人(L・ウィリアム・オコンネル、R・J・バーグキスト)起用されているのは現場で思いついた面白いアイディアをどんどん追加撮影していった形跡がうかがわれ、タイトル通り「港々に女」があるはずの主人公スパイクがオランダの女は幼い男の子がいてさらに双子の女児と亭主が出てくる、もう一人目をつけてあった女に会うとハートのブローチに碇の線画を描いた腕輪を二の腕に着けている(誓った男がいる証)、街でナンパした女の子もふと袖をめくるとハートの腕輪を着けている、オランダでも同様、リオデジャネイロでも同様で、パナマ港でもまたしても、と酒場で腐っていると酒癖の悪い男とケンカした挙げ句に留置場で酔いを覚まし無二の親友になる。連れになり同じ船に乗るようになった二人はマルセイユ港碇泊中に相棒ビルが虫歯をこじらせたため、主人公スパイクは一人で見世物芸を観に行きダイヴィング芸の美女ゴディヴァ(ルイーズ・ブルックス)に惚れるが、彼女はかつてビルから贈られた腕輪をつけていた……と筋だけ追うと何でもないのですが、ブルックスは翌年ドイツに渡りG・W・パプストの2作の傑作『パンドラの箱』『淪落の女の日記』'29で悲劇のヒロインを演じて国際的な話題作になり映画史に名を残しています。ルイーズ・ブルックスという女優は作品そのものよりも『パンドラ~』『淪落の~』からのスチール写真で知れ渡っているので、エロティックで頽廃的かつ残虐な内容のリアリズムのドイツ映画のルルのイメージがつきまとうのですが、容貌も髪型も『パンドラの箱』のルルと同じなのに本作のブルックスは健康的で明るく、パプストの映画だったら二人の男の一方が一方を殺しルルも殺して自殺するところをホークスは親友同士が殴り合いのケンカをして「すまん、おれが悪かった」「いや、悪かったのはおれだ」で仲直りさせてしまいます。もともとこの二人はどちらも当てにしていた女には振られ、ナンパにも効を奏さず、と同じ理由で酔っ払ってケンカし親友になったのですから、友情自体が拳と拳で語りあうものと心得ているタイプの男たちなので、女をめぐる諍いもケンカ一発でかえって友情を深めるのがホークスの流儀になるわけです。実は本作はラオール・ウォルシュの第1次世界大戦ヨーロッパ戦線を描いたウォルシュのサイレント時代最大のヒット作『栄光』'26(ジョン・フォードが後に忠実に『栄光何するものぞ』'52にリメイク)をヒントに企画されたもので、『栄光』は1924年のマックスウェル・アンダーソンのヒット舞台劇を映画化したものですが、舞台劇『栄光』の映画化はキング・ヴィダーの第1次世界大戦ヨーロッパ戦線を描いた『ビッグ・パレード』'25の特大ヒットを受けたものでした。『ビッグ・パレード』は1930年(トーキー映画開発2年目)の時点でアメリカ映画の歴代興行収入4位、1位のトーキー作品『シンギング・フール』(500万ドル)、2位『黙示録の四騎士』(サイレント、450万ドル)、3位『ベン・ハー』(同、400万ドル)に次ぎ、4位『国民の創生』『幌馬車』(サイレント)、『ジャズ・シンガー』(トーキー)と並び350万ドルの興行収入(4作タイ)でサイレント映画では第3位のヒット作になった作品です。ラオール・ウォルシュ(1887-1980)はD・W・グリフィス(1875-1948)の助監督兼俳優から出た監督でE・フォン・シュトロハイム(1885-1957)、トッド・ブラウニング(1880-1962、『魔人ドラキュラ』'31、『フリークス』'32)らと並び、やはりグリフィス門下生のジョン・フォードの兄弟子に当たる人ですが、『ビッグ・パレード』の戦争とラヴ・ロマンスとの取り合わせをウォルシュはヴィクター・マクラグレン(1886-1959)を主演に軍隊の男と男の友情に焦点を当てて描いたのです。マクラグレンをそのまま主演に起用して船乗りの恋とケンカの友情物語にしたのが『港々に女あり』で、マクラグレンはサイレント時代からトーキー以後も活躍した数少ない俳優でジョン・フォードの『男の敵』'35でアカデミー賞主演男優賞を受賞しています(同作はアカデミー賞監督賞脚本賞・作曲賞とニューヨーク映画批評家協会賞作品賞・監督賞も受賞)。ジョン・ウェインまたはヘンリー・フォンダが主演するようになってもフォード作品の常連で、渋い性格俳優として晩年まで活躍しました。サイレント時代の映画は敬遠されがちですが『ビッグ・パレード』『栄光』『港々に女あり』は必見級の作品で、この3作を観て関連性を感じない人はいないでしょう。ホークス最初期の作品らしい溌剌とした作品であるとともに、バディ・ムーヴィーという得意のテーマにサイレント時代にすでに着手していたのは後から再評価された重要なポイントで、コメディであってもスラップスティックではないドラマ構成を備えているのは粋なセンスをうかがわせます。この軽やかさは当時うまくカテゴライズする基準がなく、それで長らく十分な評価が受けられなかったと思われるのです。あらすじにすると主要人物は3人だけになってしまいますが、前半1/3で主人公が過去の女に次々振られる、その次に相棒になるビルとの出会いと酒場のケンカ、後半マルセイユ港でルイーズ・ブルックスのために船員を辞めてしまってからの展開と一場面だけドラマに絡んで印象に残る魅力的な登場人物は多く、一筆描きのような登場ですがホークスの人間観察の豊さ、それもどんなタイプの人間からも魅力を引き出してしまう視点と簡潔に描き切る素質、腕前は監督デビュー2年で出来上がっていたのだなあ、と嬉しくなってしまいます。初めて観るホークス作品が本作でも満足できますし(B/W, サイレントに抵抗がなければ)、後年のホークスの映画を多く観ていればいるほど本作での作風の確立と完成度に驚き、楽しめるのではないでしょうか。ルビッチで言えば『結婚哲学』'24、ヒッチコックで言えば『下宿人』'26に当たるような、以降の作風を決定した輝かしい作品です。全編視聴動画リンクを引いたのでぜひご覧ください。

●10月2日(月)
『暁の偵察』The Dawn Patrol (ファースト・ナショナル'30)*108min, B/W; 日本公開昭和5年10月(1930/10)

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ジャンル ドラマ
製作会社 ファースト・ナショナル映画
配給 W・B・F・N社輸入
[ 解説 ] 「棘の園」「愛の曳綱」と同じくリチャード・バーセルメス氏主演映画で「空中サーカス」「港々に女あり」のハワード・ホークス氏が監督、「愛の曳綱」「棘の園」のアーネスト・ホーラー氏が撮影した。ジョン・モンク・ソーンダース氏の原作をホークス氏がダン・トザロー氏、シートン・I・ミラー氏と共に脚色したものである。助演者は「恋多き女」のダグラス・フェアバンクス・ジュニア氏、「最敬礼」のウィリアム・ジャニー氏、クライド・クック氏等である。
[ あらすじ ] 西部戦線に在る英国陸軍第59飛行中隊司令官ブランド少佐(ニール・ハミルトン)は自分が首斬役人であるような気がして日夜懊悩していた。それは部下の若い士官達が粗悪な飛行機に乗っては片っぱしから射落されて死んでしまうからである。彼が片腕と頼むコートネー(リチャード・バーセルメス)と彼とは親友同士であるが恐怖すべき塹壕生活のために異常な精神的昂奮に驅られて毎日のように争論していた。或日コートネーは親友スコット(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)と共に少佐の命令を無視して獨軍塹壕上に飛行して、九死に一生を得て帰って来た。その時司令官の地位を辞したブランドは憤ってコートネーに司令官たることを命じた。コートネーは責任ある地位に置かれて煩悶し飲酒に耽る。連合車の空車は形勢日に非となり、或日全員出動命令が下った。新たに赴任したスコットの弟ゴードン(ウィリアム・ジャニー)は実戦に経験が無いので兄はコートネーに弟を殺さないで呉れと頼んだ。併し命令は絶対でコートネーは心ならずもゴードンを死地に赴かせた。この為スコットとコートネーとは反目するに至った。帰休していたブランドが獨軍々需品倉庫爆破の命令をもってやって来た時、スコットは弟の弔い戦とばかり此の難事を引受けた。コートネーは自ら行くためにスコットを酔い潰させ、敵地五十基米にある倉庫の爆破に成功した。そして彼は自分の生命をその犠牲として捧げたのである。

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 本作もジャンルは「戦争」とすべきでしょう。さて、フランスの映画批評誌カイエ・デュ・シネマ編『作家主義』(日本語訳・リブロポート)に収められた1956年2月のインタビュー(訊き手=ジャック・ベッケルジャック・リヴェット、フランソワ・トリフォー)で、ホークスは「保存したい自作」のベスト3を訊かれて「まず感傷的な理由から、最初のトーキー映画の『暁の偵察』を選び、ついで『暗黒街の顔役』、それにたぶん『特急二十世紀』を選ぶだろう。でも……とっておきたい映画はほかにもたくさんあるよ……」と答えています。ホークスは監督デビューの1926年から年間2~3作を監督していたのですが、1929年は最後のサイレント作品『トレント大事件』を発表してデビュー以来のフォックス社を退社してフリーの映画監督になり、ほとんどの作品をハワード・ホークス・プロダクション製作(または共同製作)=メジャー映画会社配給で企画と製作の全権を握り、ホークス自身のオリジナル・シナリオかシナリオライターを起用してもホークスが監督=プロデューサー権限で書き直す、という現在のインディペンデント映画監督のような活動をハリウッドの大メジャー会社の製作・配給システムの中で実行していました。後に映画監督になるカイエ誌の映画批評家から、ハリウッドの映画監督ではホークスとヒッチコックが特別視されていたのは、企画・脚本・キャスティングまでほとんど監督自身が全権を握る映画作りをほぼ全作品で長期的に貫いていたのがこの二人だったからです。サイレント時代のグリフィス、チャップリン、デミル、シュトロハイム、ロイド、キートンなどもそうでしたが、トーキー以後は凋落するか、メジャー会社に依るか、極端な寡作になるかでした。トーキー初期にはマレーネ・ディートリッヒ主演連作のジョセフ・フォン・スタンバーグがワンマン体制の映画製作を実現していましたが、5年間でコンビは解消してしまいます。前述のインタビューでホークスはトーキー第1作の本作製作までしばらく映画を撮らなかったと打ち明け(実際は半年も休んでいませんが)台詞に悩んで試写でも不評だったが「公開されてこの年最大のヒットになったら皆に絶讃されるようになった」と語っています。映画人の例に洩れずホークスはホラ吹きで知られており1930年最大のヒット作というのは誇張ですが、同年公開の大富豪ハワード・ヒューズ(1905-1976)の監督作『地獄の天使』とともに第1次世界大戦のヨーロッパ戦線での航空戦映画として大ヒットしたのは事実のようです。本作が嬉しいのは主演がリチャード・バーセルメス(1895-1963)で、次いでダグラス・フェアバンクス・ジュニア(1909-2000)、ニール・ハミルトン(1899-1984)というのも心憎い配役です。バーセルメスはグリフィスの『散り行く花』'19と『東への道』'20の主演だけでも忘れられない俳優ですがホークスの後年の傑作(で航空郵便映画の)『コンドル』'39の準主演をほぼ最後に引退しました。フェアバンクス・ジュニアは『ステラ・ダラス』'25、『犯罪王リコ』'31、『ゼンダ城の虜』'37、『ガンガ・ディン』'39など記憶に残る佳作でいつもキャストの3番目か4番目の名バイプレイヤーで、ニール・ハミルトンはグリフィスの『ホワイト・ローズ』'23の準主演と『アメリカ』'24と『素晴らしい哉人生』'24の主演を勤めていた俳優です。サイレント時代からトーキー以後まで残った俳優は少なく、バーセルメスもこの後出演作品は激減するのでトーキー主演作のバーセルメスは貴重ですし、また本作はヒット実績の割に再評価の対象になることが少なく、ホークス作品中では知名度が低くなったために、戦後の観客にはグリフィスの古典『散り行く花』と『東への道』のバーセルメスがホークスの『コンドル』に出ているのを観て意外の感に襲われるのが大半で、実は本作がその間にあったと知るのはその後の場合が多いのではないでしょうか。バーセルメスの引退作は『コンドル』'39から2本目の『スポイラーズ』'42(レイ・エンライト)の助演になるようですが『コンドル』での準主演級の飛行士役は最後の花道と言えるほど渋い感動がこもった役で、バーセルメスは'30年代半ばには半引退状態(余生は不動産業に転向)だったそうですからいつでも引退してもいいようなものだったと思われ、本作と違って戦争映画ではないものの飛行士映画の『コンドル』で『暁の偵察』と似た役で俳優生活のキャリアをほぼ終えたのには感慨深く、ホークスのバーセルメスへの義理堅さを感じます(当時はまだすぐに『暁の偵察』を思い出せる観客が多かったからかもしれませんが)。本作もあらすじに役名が出てくる以上に登場人物が多く、短い出演場面で強い印象を残します。本作の舞台は激戦地の最前線なので補充兵たちに実戦経験を聞きながら偵察機操縦兵を選んでいくのですが、数十時間から始まってどんどん実戦経験時間の少ない兵士になっていき最短7時間半の少年兵になる。経験の多い兵士と少ない兵士を組み合わせて偵察兵に選び出すのですが、7時間半の少年兵は1回の偵察で撃墜死してしまう。黒板の名前を消しながらバーセルメスが「He reminds me…Seven-half…」と呟く、といった具合にチョイ役で出てくる人物たちにも細かいエピソードがあり、キネマ旬報のあらすじでは省略されていますがバーセルメスがニール・ハミルトンの後任司令官に任命される前に偵察隊の戦闘機で出撃したフェアバンクス・ジュニアが撃墜された、という報が入ります。バーセルメスが親友の戦死と司令官任命の二重の苦しみで落ち込んでいると、撃墜はされたが無事脱出できたフェアバンクス・ジュニアが徒歩で飄々と帰ってくる。もうこの呼吸が絶妙で、本作を名人と言ってしまうと'30年代後半、'40年代、'50年代、'60年代のホークスへの讃辞は青天井になってしまいますが、ホークスの名作に普通は上がらないし代表作でもない本作ながら確かに監督自讃の作品だけあって見所満載で密度も高い一作です。トーキー初期の1929年~1932年頃のアメリカ映画はまだまだサイレント時代から脱していない演出と新技術の音声の組み合わせに試行錯誤の段階にありましたが、1930年のトーキー第1作でこのこなれ具合は群を抜いており、この年のアカデミー賞作品賞はドイツの少年兵を主人公に第1次世界大戦の塹壕戦を描いた反戦映画『西部戦線異常なし』'30(マイルストン)でしたが、前線基地の兵士たちを生き生きと描いた本作と図式的な『西部戦線~』では映画の格が違うとしか言いようがありません。空中戦は当時の映像技術ですからロングで実演を撮ったものとコクピット場面でのスクリーン・プロセスを組み合わせたものですが技術水準は非常に高く、たいがい違和感が目立ちがちなスクリーン・プロセス映像の自然さと迫力は1960年代の平均的映画と較べても軍配が上がるほど巧みです。自己犠牲的なラストも弟の仇討ちと逸るフェアバンクス・ジュニアを酔い潰れさせるユーモラスなシークエンス、バーセルメスの決死のドイツ軍前線本部基地と倉庫棟の空爆シーンの凝ったコンテ割の演出と躍動感に悲壮さや臭みよりも痛快な爽やかさがあり、決して悲劇一辺倒を感じさせませないのはさすがです。ホークスはどんなキャラクターからもさらっと人間的魅力を引き出してしまう暖かさと人間の平等観、型にはまらない発想の自由さがあり、人間肯定の懐の広さがあるので主人公が殉死を選択しても悲壮にはならず、伸び伸びとして自然な行動に観せる。これは生涯ホークス作品を貫いていた姿勢で、それではまるで神様みたいですが、ホークスの映画の中では人は神様から見た存在みたいに誰もが等しく生きているということでしょう。ホークスの'30年代作品には『今日限りの命』'33や『永遠の戦場』'36など他にも第1次世界大戦ものがありますが出来は本作に及ばす、ゲイリー・クーパーアカデミー賞主演男優賞をもたらした実在の第1次世界大戦の英雄の伝記映画『ヨーク軍曹』'41がアプローチを変えてホークスの第1次世界大戦ものの決定版になります。とはいえ『今日限り~』や『永遠の~』にも魅力はあるので感想文は次回以降載せますが、本作のバーセルメスのトーキー第1作にして堂々たる好演と較べるとキャスティングが弱いように見えます。バーセルメスはグリフィス作品でも『コンドル』でも小柄な印象がありますが本作では軍服姿だけに他の男性俳優の目の位置くらいの身長が目立ち、キャリアの凋落は顔立ちや演技力よりもクラーク・ゲイブルやゲイリー・クーパーを始めとする'30年代の長身スターの台頭にあったのかもしれません。

●10月3日(火)
『暗黒街の顔役』Scarface (ユナイト'32)*102/93min, B/W; 日本公開昭和8年3月(1933/3/13)・ アメリカ国立フィルム登録簿登録(1994年)

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ジャンル ドラマ
製作会社 ユナイテッド・アーチスツ映画
配給 ユナイテッド・アーチスツ
[ 解説 ] ニューヨークの劇団に於いて名優の一人として知られているポール・ムニ主演で「タイガー・シャーク」「群集の喚呼」と同じくハワード・ホークスが監督し「暗黒街」「河宿の夜」の作者ベン・ヘクトが、アーミテージ・トレイルの原作を基に脚色。助演は「毎夜来る女」「闇に踊る」のジョージ・ラフト、「群集の喚呼」のアン・ヴォーザーク、「アルセーヌ・ルパン」「インスピレーション」のカレン・モーリー、「心を汚されし女」のオスグッド・パーキンス、「マタ・ハリ」のC・ヘンリー・ゴードン、「フランケンシュタイン」のボリス・カーロフ。撮影には「上海特急」「間諜X27」のリー・ガームスがL・ウィリアム・オコンネルと協力して当たった。ちなみに本映画は「地獄の天使」と同じくハワード・ヒューズ提供によるもので、監督には前記ホークスを助けてリチャード・ロッソンも力を貸している。
[ あらすじ ] トニー・カモンテ(ポール・ムニ)はギャングの大親分ビッグ・ルイ・コスティロ(ハリー・J・ヴェジャー)の用心棒だったが、相手のギャングの親分ロヴォ(オズグット・パーキンス)に買収されてコスティロを暗殺する。そうしてコスティロの縄張りを手にいれたロヴォは、トニーを警察から貰い下げることはもとより、さらにその手柄と腕前を買ってトニーを副親分に引き立てる。しかし野心満々のトニーは副親分の地位では満足せず、やがては親分の地位をも狙う下心を抱いていた。それにトニーは、ロヴォの情婦ポピー(カレン・モーリー)にも心を惹かれていた。まずは腕前を見せるために南側の親分オハラを襲ってこれを射殺し、ビール密売の縄張りを拡張する。トニーの名がギャング仲間で重きを成すようになり始めると、ポピーの気持ちに変化が起こり彼に心が動き始める。トニーはさらに勇んで、ギャフニー(ボリス・カーロフ)を親分とする手ごわい北側へも手を延ばし始める。気の弱いロヴォはこれに反対するが、トニーの気勢はもう命令などは受け付けない。機関銃を手に入れたトニーには、もはや敵はいなかった。トニーの全市に渡る大殺戮が始まり、北側もついには彼の席捲するところとなった。トニーの勢力が親分ロヴォのそれを凌ぎ、ポピーまで彼の方へいよいよ心を動かしたとなると、ロヴォは心中穏やかならず手下にトニーを暗殺させようとする。しかしトニーはそれを逃れ、反対に弟分のリナルド(ジョージ・ラフト)と共にロヴォのもとに押しかけ、泣き叫び哀れみを乞うロヴォを射ち殺す。トニーはポピーを誘い、ほとぼりの冷めるまで高跳びをする。一ヵ月後、再びギャングスターの帝王としてこの地に戻ったときは、あまりのギャングの悪業に目覚めた世論が政界にすでに新統治者を送っていたが、それよりもトニーが憤ったのは、妹のチェスカ(アン・ヴォーザーク)が男と同棲していることだった。かねがね妹だけは堅気に育てたいと思っていたトニーは、アパートに押しかける。相手の男はリナルドだったが、有無も言わせず撃ち殺す。その後二人がすでに正式に結婚していたのだと知った時、トニーに初めて悔いの思いが沸き上がった。夫を殺され狂気のようになったチェスカは、警察にトニーの殺人を密告する。トニーを不倶載天の仇と目していたグアリノ警部(C・ヘンリー・ゴードン)は、多勢の警官を従えトニーが鉄壁の堅牢を誇るアパートを包囲する。チェスカは一時の狂気が去ると、肉親の情が起こりトニーを救うべく彼のアパートに駆けつけ、防戦へ力を貸す。妹の助けを得た上、トニーのアパートは鉄扉備えだ。トニーは警官隊へ応戦するが、チェスカが敵弾に倒されひとり残されると、剛気はたちまち挫けた。銃を失ったトニーは、全くの卑怯者だった。脱出しようとしたトニーは、最期は警官の銃火の下で死んでいった。

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 トーキー第2作にして初期ホークス、アメリカ映画史上でも最重要作品と名高いショッキングな大傑作。ゴダール選「アメリカ映画(トーキー)ベストテン」第1位(2位チャップリン『独裁者』/3位ヒッチコック『めまい』/4位フォード『捜索者』/5位ケリー=ドーネン『雨に唄えば』/6位ウェルズ『上海から来た女』/7位ニコラス・レイ『黒の報酬』/8位プレミンジャー『天使の顔』/9位ルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』/10位スタンバーグ『間諜X27』、カイエ・デュ・シネマ誌1964年1月)。2位以下の顔ぶれでこの1位の重みがわかります。本作のジャンルは'70年代以降なら「ヴァイオレンス」となるでしょうか。アメリカのギャング映画の先駆的作品には短編時代のグリフィス「ピッグアレイの銃士たち」'12があり、長編映画では夭逝の天才ジョージ・ローン・タッカー『暗黒街の大掃蕩』'13、ラオール・ウォルシュの第1長編『リゼネレーション』'15がありますが単発的な試みで、本格的にはスタンバーグ『暗黒街』'27とマイルストン『暴力団』'28がギャング映画の始まりとされています。トーキーに入りエドワード・G・ロビンソン主演のマーヴィン・ルロイ(のち『哀愁』『若草物語』を撮るルロイです)『犯罪王リコ』Little Caesar('30)が大ヒット作になり、翌年にかけて50本ものギャング映画が製作・公開される大ブームになりました。ウェルマンのジェームズ・キャグニー主演作『民衆の敵』'31、マムーリアンのゲイリー・クーパーシルヴィア・シドニー主演作『市街』'31が名作と名高く、1934年には1930年草案の「ヘイズ・コード」と呼ばれる全米映画製作配給協会の倫理規制が施行されましたが、アーチー・メイヨのハンフリー・ボガート出世作『化石の森』'36等を通って'30年代末にもジェームズ・キャグニー主演作『汚れた顔の天使』'38(マイケル・カーティス)、ボガートとの共演作『彼奴は顔役だ!』'39(ウォルシュ/脚本=ロバート・ロッセン)と続いて1941年のヒューストンの第1作でハンフリー・ボガートの大ブレイク作『マルタの鷹』から始まるフィルム・ノワールに移行していきます。『犯罪王リコ』に続く1年間のギャング映画ブーム中で1931年公開に完成していながらも、ヘイズ・コード草案に引っかかって結末の9分間を強制的に再撮影され公開が'32年になったのがギャング映画の決定版とされる本作『暗黒街の顔役』であり、102/93分とあるのはそのためで、オリジナルの93分に再撮影分の結末を足すと102分になるのです(現行のDVDでも両方の結末を収録しています)。『暴力団』も製作したハワード・ヒューズがスポンサーで、『暗黒街』の脚本家でジャーナリスト出身のベン・ヘクトのシナリオをホークスが書き直したそうですから、社会の裏側を知り尽くした面々が揃っていたわけで、ウクライナ移民俳優のポール・ムニもすっかりイタリア系移民(ナインティナインの岡村似でもある)のギャングスターになりきっており、後のディターレの『科学者の道』'35、『ゾラの生涯』'37とは別人のようです。例によってあらすじに出てこない人物たちも映画のムードに生彩を放っており、酒場の主人やコック、主人公トニーの母親などもいいですが主要登場人物ではすぐ殺されてしまう親分コスティロ(このファースト・シークエンスの下手~上手への横移動の長回し溝口健二の傑作『祇園の姉妹』'36に匹敵します)、情けない次のボスのロヴォ、ロヴォの秘書で文盲かつ電話も取り次げない役に立たないアンジェロ(ヴィンス・バーネット)――銃撃を受けて忌の間際ようやく掛かってきた電話を取り、「ボス、やっとちゃんと取り次げました」と事切れる最期が鮮烈です、また登場シーンは少ないながら同'31年に『フランケンシュタイン』(ジェームズ・ホエール)で世界中に名を知られるボリス・カーロフ演じる北地区のボスのギャフニーが出てくるだけで強烈な存在感で、ダイナマイトで爆死させられる末路も強烈です。主人公トニーが妹チェスカに近親相姦的な執着的愛情を抱いているのはホークスのアイディアで、ボルジア家の兄妹をイメージしたそうですが(カイエ誌インタビューより)十分な伏線が敷かれているとは言えず、主人公トニーの弟分リナルドと結婚してすぐ嫉妬からリナルドを殺されても警官隊に追い詰められ籠城したトニーの味方に駆けつけるのが唐突で、リナルド役のジョージ・ラフトも性格描写に一貫性がないのが微妙です。ヘイズ・コードに触れたのは近親相姦的要素も大きかったようです。結末はオリジナルも再撮影版も主人公の破滅で終わりますが段取りに違いがあり(どう違うかはご覧になってのお楽しみ)オリジナルの方が良いでしょう。『犯罪王リコ』『民衆の敵』ともども本作は当時獄中のアル・カポネ(1899-1947)をモデルにしており、原題『Scarface(傷顔)』はカポネ自身のニックネームでした。映画とは違うカポネの末路はウィキペディアなどで知ることができますが、本作から後世のアル・カポネ像が伝承されていった面も大きく、フランシス・F・コッポラの『ゴッドファーザー』'72は本作にインスパイアされた作品(淀川長治氏による指摘)ですし、1983年には直接アル・パチーノ主演のリメイク『スカーフェイス』(ブライアン・デ・パルマ/脚本=オリヴァー・ストーン)が公開され大ヒット作になりました。いろいろ伝説的な作品としての条件は揃っている作品ですし、先に上げたゴダールの評価に異を唱えるのではありませんが、後年のホークスの作品も多く観て、今回『港々に女あり』『暁の偵察』と続けて観直すと、『港々~』や『暁~』はいかにも『コンドル』や『赤い河』『リオ・ブラボー』のホークスだなあと嬉しくなる一方『暗黒街の顔役』は後の『脱出』や『三つ数えろ』のフィルム・ノワール系(というよりハードボイルド作品とすべきか)のホークスとも違う、本作だけがホークスの作品系列で異彩を放っているように思われるのです。ホークスらしい遊びよりも際どい題材を扱って堅くなっているように見え、狂躁的な主人公の描き方もホークスには珍しく共感も人間味も欠いているように思えます。映画の冒頭の字幕で「本作の意図は社会悪の取り締まり強化の訴えにあり、暴力を賛美するものではない」と言い訳めいたメッセージが流れますが、全米映画協会の検閲で追加せざるを得なかった字幕にせよ映画が統治権力の強化を訴えるのは本末転倒でしょう。本作にはホークスらしい自由の精神、精神の自由が稀薄であるように見えるのです。