クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - ドリームス Dreams (Brain, 1986)
Recorded at Klaus Schulze's studio, summer 1986
Released by Brain Records / Metronome Musik GmbH Brain 831 206-1, November 1, 1986
Produced and All Composed by Klaus Schulze
(Side 1)
A1. A Classical Move : https://youtu.be/GwiWcvAt_SA - 9:40
A2. Five to Four - 7:57 *not on links
A3. Dreams : https://youtu.be/kgY_v0gh3_o - 9:25
(Side B)
4(CD Additional Track). Flexible : https://youtu.be/fxUkiA9clcc - 4:16
B1. Klaustrophony : https://youtu.be/Szn3DzDax_4 - 24:40 *original length
[ Personnel ]
Klaus Schulze - synthesizer, guitar, keyboards, vocals, engineer, digital mastering, mixing, electronics
Harald Asmussen - bass
Andreas Grosser - synthesizer, piano
Nunu Isa - guitar
Ulli Schober - percussion
Ian Wilkinson - vocals
*
(Original Brain "Dreams" LP Liner Cover & Side 1 Label)
第19作目のシュルツェの本作はLPでは4曲目の「Flexible」を割愛してA面3曲・B面1曲の構成で発売されました。全曲のリンクが引けず、またB面の大曲「Klaustrophony」(KlausとCatastrophie、Symphonyの合成語でしょう)のリンクがオリジナルの25分弱に対して15分の短縮編集版しかご紹介できず残念ですが、サンプル程度にお聴きください。アルバム傾向としては前作『Inter*Face』'85のループに乗せたアンサンブルを踏襲したもので、'70年代のアルバム、具体的には『Mirage』'77の頃には実験派エレクトロニック・ロックの尖鋭的存在だったシュルツェの音楽が、この頃にはアンビエント/ニューエイジ・ミュージックの文脈の中で消費される工業製品的な扱いを受けていたので、本作は旧来のシュルツェのリスナーにも一般の音楽リスナーにもほとんど注目されずにリリースされ、今日でもシュルツェのキャリアをたどる以外には評価の対象になることはめったにないアルバムです。シュルツェが再びエレクトロニック・ミュージックの大家として革新性を注目されるようになるにはもう数作後、'90年代の到来を待たなければならないので、前作、本作、次作あたりはシュルツェにとってもっともキャリアの停滞期と見られて潜伏を強いられた時期の作品に当たります。
本作ではバンド編成と言えるほど楽器編成に専任奏者が招かれ、シュルツェにしては『Body Love, Vol.1』'76以来のピアノ・トーンのプレイか、と思うと専任ピアノ奏者がいるのもピアノにライナー・ブロスを迎えた『Audentity』'83と同様で、チェレステやヴィブラフォン的トーンは使用するシュルツェですがピアノ・トーンのキーボード演奏はアルバム19作を重ねても『Body Love, Vol.1』のA2以外になく、シュルツェの年長の盟友フローリアン・フリッケ(ポポル・ヴー)がドイツ初のシンセサイザー奏者として出発し当時世界的にも類のない成果を達成しながら完全にシンセサイザーも電気オルガンも辞めて(後進のシュルツェに機材を譲りました)ピアノだけに専念するようになったのとは対照的でもあれば姿勢は共通しているとも言えて、楽器自体に音楽的な歴史性を持つピアノについてフリッケのように徹底して向かうか、シュルツェのように決してピアノにだけは触れないかの選択になるのでしょう。本作のサウンド・ループに乗せたアンビエント・アンサンブル手法は元来シュルツェのやっていた音楽からイタリア系テクノ・ディスコなどの手法と混交してもっとも典型的で量産可能な手法となり通俗化したものですが、オリジネーターでイノヴェイターだったシュルツェ自身の音楽までその俗流の中に埋没させて見せる結果となってしまった点で、シュルツェにとっては自然な発展を進めようとすればするほどシュルツェ自身のスタイルが邪魔になってしまう、という悪循環を生み出しました。本作では楽器編成に専任奏者を配置する、久しぶりにヴォーカル・トラックをフィーチャーする、サウンド・コラージュにサンプリング的処理を施す、とさまざまな工夫が試みられていますが、結果的に集中力の拡散を招いているような、シュルツェの苦渋を感じないではいられない仕上がりになっています。一朝一夕に出来るクオリティのアルバムではないだけに、シュルツェほどの実力と独創性のあるアーティストの場合、陥った困難の大きさが直に顕れてしまった観があるのです。