人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(20); 小野十三郎の詩(1) / 詩集『拒絶の木』より「蓮のうてな」

[ 小野十三郎(1903-1996)近影、創元社『全詩集大成・現代日本詩人全集10』昭和29年('54年)12月刊より ]

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詩集『拒絶の木』昭和49年(1974年)5月1日
思潮社刊(読売文学賞受賞)

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  蓮 の う て な     小 野十三郎

銃器と油と
皮革のにおいのするところにいる。
生きていたとき
ただ一口も言葉を交したことがない者たちの
汗のにおい、吐く息のにおいの中にいる。
泥靴の足を投げ出して
くずれた民家の土壁にもたれている。
地響を立てて前を戦車が通過している。
アザミに似た花が陽に映えている。
死後になって実存という言葉があったことを思い出す。
V字型に折れた鉄橋の下をながれる水を見ている。
一五〇ミリ砲の仰角の向うに
ナパームを浴びた樹海を縫うて
寸断された山道が遠くまで起伏している。
黒焦げになった木の枝が
まだ炎に包まれて道をふさいでいる。
自らの手で深く掘った穴の中
生きていたときいなかったところにいる。
草いきれと土のにおいの中にいる。
一挺のバズーカ砲の筒を闇に置いて
泥靴の足を投げ出し
壁にもたれたやつの体臭の中にいる。
木の枝で葺いた家の軒下から
はだしの子どもが
ふしぎそうにおれを見ている。
ラオス南部から
カンボジアの東北国境にかけて
白く大きくもり上っている雷雲は
生きていたとき見たことがないものだ。
「オウムのくちばし」に生き返って
十七歳からやり直す。
千年の樹根がからみついた
越南の
色鮮やかな寝仏のそばで
蓮のうてなで
こんどは本当に死ぬ。


 これまでも数編ご紹介したことがありますが、これからしばらくは20世紀の日本の現代詩人中でも、もっとも長い詩歴を誇った大阪の詩人、小野十三郎(1903-1996)の作品をご紹介していきたいと思います。小野十三郎は第1詩集『半分開いた窓』'26(大正15年)でアナーキスト詩人して出発し、プロレタリア文学運動にコミュニズム運動の同伴者として密かに活動しながら暗喩的な作風に転換し、戦後にようやく自由な創作活動が可能になった人で、それまでの全詩集と主要な詩論を集成した『小野十三郎著作集(全3巻)』'90~'91(平成2年~3年)のあと、生前最後の詩集になった第22詩集『冥王星で』'92(平成4年)後も晩年まで新作詩編の執筆がありました。20歳で詩作を始めて23歳で第1詩集を公刊し、90代まで70年以上に渡って中断期間もなく詩を書いていた詩人です。
 掲出した「蓮のうてな」は第15詩集『拒絶の木』巻頭を飾る、前詩集『垂直旅行』'70(昭和45年)以降の新作で、'70年に勃発した(完全な終結は'93年にまで及ぶ)カンボジア内戦(カンボジア紛争)に材を採ったものです。"蓮のうてな"とは仏教の涅槃を指しますが、ここでは実際に蓮が水に浮かぶ光景があったとしてもよく、平易な用語や句読法が使われていて決して難しい現代詩ではないのに、詩の形でしか書けない、散文や映像には置き換えられない世界を捉えています。何より「蓮のうてな」は生死の境を描いた緊迫した文体によって小野十三郎の後期作品の傑作になっており、この1編が巻頭にあるだけでも『拒絶の木』は小野十三郎の後期の代表詩集になっています。
 面白いのは、最後の詩集となった『冥王星で』には「蓮のうてな」への反歌になるような佳作が収められていることで、いわば90歳の詩人が70歳の時の自作をいかに乗り越えようとしたかがうかがえることです。併せてお読み頂ければその意味もわかります。一人の詩人の詩歴をたどるとはこういうことです。


  新 し い 仕 事     小野十三郎

消せるものなら
死という言葉を
世界の詩の言語空間から
一つ一つ消していこう。
それはたいてい夜あけの樹木の
淡い影の中にあるから
外に出て
まず樹木を消すことに取りかかろう。
時間はそうないのに
影は地平までつづく森林の影になっている。
臥ているところから窓に見えるのだ。
たぶんおれの方が先に根負けして
樹木の影だけが
あとに残るだろう
それでも作業ははじめよう
明日と云わず
いまから
直ちに。

 (「樹木」平成2年=1990年12月、
 詩集『冥王星で』収録)