人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年3月16日~18日/フレッド・アステア(1899-1987)のミュージカル映画(6)

イメージ 1

 フレッド・アステア出演作も今回の3作で18作までをご紹介することになりますが、主演14作目の『晴れて今宵は』'42はRKO映画社専属から離れてフリーランスになってからの3作目『踊る結婚式』You'll Never Get Rich (Columbia'41)の姉妹作と言って良いリタ・ヘイワースとのコンビ作でRKO時代の主演第2作『ロバータ』'35のウィリアム・A・サイター監督作になり、『踊る結婚式』製作の時点で2作共演は決まっていたのかもしれませんがなかなかの佳作だった前作の好評もあってに違いなく、よりヘイワースとの息の合ったかけあいが楽しめる快作になっています。次作『青空に踊る』'43は古巣RKO映画社でのフリー後初の主演作で、まだ10代の新人女優ジョーン・レスリーがヒロインですが、コロンビア映画社での『踊る結婚式』で準主演だったロバート・ベンチリーが同作でも準主演で出演ながら戦時色を反映した内容やレスリーの好演でミュージカル色が薄いのも補う特色があり、アステア映画はどれも似たような印象がありますが1作1作は工夫が凝らされたものなのがこのあたりの作品では感心させられます。映画書き下ろし曲からも『晴れて今宵は』はアステアが歌うジョニー・マーサー作詞=ジェローム・カーン作曲の「デアリー・ビラヴド」と「アイム・オールド・ファッションド」、『青空に踊る』はレスリーが歌うジョニー・マーサー作詞=ハロルド・アーレン作曲の「マイ・シャイニング・アワー」、アステアが歌う「ワン・フォー・マイ・ベイビー」がスタンダード曲になりました。アステアは『青空に踊る』完成後に軍事施設の慰問巡業(同時代の映画スターのほとんどに依頼されました)で翌年の新作はありませんが、アステアにとっても初のカラー映画の出演になったのが太平洋戦争終結間際に公開された大作『ジーグフェルド・フォリーズ』'45で、ミュージカル映画の本家と言うべきMGM映画社によるプロローグ+13景のレヴューからなるオールスター出演のオムニバス映画であり、アステアはプロローグには本人役、さらに主要な4つのレヴューで主演しており、実質的な主演格で登場しています。前年の監督作『若草の頃』'44でMGM空前のヒット(製作費185万ドル・初年度興行収入656万ドル・累計興行収入1,280万ドル)を記録した新鋭監督ヴィンセント・ミネリを中心に7人の監督が分担、アーサー・フリードの製作による『ジーグフェルド・フォリーズ』は『晴れて今宵は』『青空に踊る』が戦後間もなく日本公開されたのに対し、製作から45年あまり経った昭和64年まで日本公開されませんでしたが、製作費340万ドル・興行収入564万ドルと一都市の年間予算並みの規模の勢を凝らした大作で、なじみのないレヴュー形式のオムニバス映画の体裁や配給権利料の高さから日本公開が見送られていたのでしょう。カラー作品というだけでなく撮影技法や演出にもすでにアメリカ映画が戦後期に入ったのが伝わってくる仕上がりになっており、劇映画ではなくショー映画、レヴュー映画として作られているので今日では楽しみ方や評価の基準が難しい怪作ですが、この頃には40代後半を迎えて引退を考えていたというアステアにはプロダクション・ナンバーのみの出演でいい同作はむしろ好企画だったかもしれません。なお今回も作品紹介はDVDケース裏の紹介文を先に掲げ、適宜日本公開時のキネマ旬報の新作紹介を引くことにしました。

イメージ 2

●3月16日(土)
『晴れて今宵は』You Were Never Lovelier (Columbia'42)*92min, B/W : アメリカ公開1942年11月19日、日本公開昭和22年5月27日
監督 : ウィリアム・A・サイター/共演 : リタ・ヘイワース、アドルフ・マンジュー、ザビア・クガート
◎美人だが全く男に興味を示さない娘マリアを心配した父親が、匿名の恋文を贈りつづける。マリアは恋文の男性が父親が嫌っているデイヴィスだと勘違いし……。『踊る結婚式』に続くアステアとリタ・ヘイワースの第二弾!

イメージ 3

 今年は1月からロイドとキートンのサイレント喜劇短編と感想文の書きようがないものをじっくり観直して一応書いては載せてきましたが、2月は小林正樹監督作品ほぼ全作とこれまたしんどいものを取り上げたので、軽く観られるのがいいなと3月はフレッド・アステア月間にしたのです。これがとんだ見当違いで、サイレント映画の神髄は喜劇短編にありとするならサウンド映画(トーキー)の興隆がミュージカル映画から始まったのも道理で、音楽と歌とダンスこそが何よりも見どころになっている映画は見せ方の巧みさ、感銘の深さにただただ陶酔感にひたれこそすれ、これを感想文にするとなるとプロダクション・ナンバーについての解説の羅列になるのがせいぜいで、一般の劇映画のような基準で感想をまとめようにもプロットやストーリー、キャラクター造型などは書かずもがなで男女逆転ハッピーエンド版『椿姫』や『ラ・ボエーム』のような類型的コメディばかりになってしまいます。前回までで15本のフレッド・アステア出演作の感想文を年代順に書いてきましたが、1回3作1万5,000字くらいが平均的な長さになっている。日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引用しているとはいえ引用文抜きでも1万字以上にはなっているので、サイレント喜劇短編の場合は20分ほどの短編全編の展開やギャグを追わないでは感想の書きようがなく感想文が長くなりましたが、どれも似たようなアステア映画の場合はつかみどころがないのでずるずると長くなってしまうので、プロダクション・ナンバーはスタンダード曲を生んだ主要なものにとどめるにしても毎回今度のアステア映画はどの辺に工夫が凝らしてあるかを思いつくまま上げていくのですが、結局これこそといったその作品ならではの決定的な魅力の本質には迫れた感じがしないのです。サウンド映画の基本的な技法を高水準でいち早く確立したのはジョセフ・フォン・スタンバーグルネ・クレールでしょうが、スタンバーグの『嘆きの天使』'30や『モロッコ』'30、クレールの『巴里の屋根の下』'30や『ル・ミリオン』'31も音楽場面が欠かせない魅力になっているように、サウンド映画(トーキー)初期は映画に音がついたならとにかく音楽、歌とダンスだとばかりに音楽映画・ミュージカル映画が濫発されました。サウンド映画の定着を招いたのはワーナーの『ジャズ・シンガー』'27や『シンギング・フール』'28、フォックスの『サニイ・サイド・アップ』'29やMGMの『ブロードウェイ・メロディ』'29といった音楽映画・ミュージカル映画の記録的な大ヒットだったので、これらは作品内容の貧弱さでほとんど歴史的資料にしかなっていませんが、スタンバーグやクレールがサウンド映画の劇映画技法に画期的な業績を上げても映画界全体には「歌謡映画は当たる」という安易な風習が残ったので、率直に言ってマルクス兄弟がサイレント喜劇にとって代わり、サウンド映画の到来に折悪しく急逝したアクション映画の至宝ロン・チェイニーに代わるようにフレッド・アステアの時代が到来したのもマルクス兄弟やアステアが歌って踊れるタレント(ハーポは唖者ですがミュージシャンでもあります)だったからです。サイレント映画時代と違ってサウンド映画はタレントの映画進出も可能にしたので、真の俳優だったキートンやチェイニーと並べればマルクス兄弟やアステアはタレントの映画出演でしかない。基本的にサイレント出身俳優はサウンド映画でも通用します。1本の出演で急逝しましたがチェイニーのトーキー作品、ハリー・ケリー(シニア)の偉大な風格や阪東妻三郎大河内伝次郎が良い例です。サウンド映画の俳優はサイレント映画ではほとんど通用しないでしょう。故・淀川長治氏はサイレント三大喜劇王の大礼讃者でしたがマルクス兄弟映画を「あれは舞台劇」と一蹴しました。しかしマルクス兄弟やアステアほどの大タレントになると舞台芸がそのまま映画になっても異様な化学反応を起こすので、パラマウント時代のマルクス兄弟映画、RKO時代のアステア&ロジャース映画は舞台芸が映画に衝突する起爆力が偉容を誇っていたと言えるものです。その後のマルクス兄弟やアステア、またロジャースは映画に自分たちを合わせながらキャリアをつないだとも言えて、前作『スイング・ホテル』'42でビング・クロスビーの引き立て役を勤めたアステアの『晴れて今宵は』、次作『青空に踊る』はアステアのキャラクターはより落ち着いたものになり、歌手の力量とともに映画俳優として演技の表現力も著しく向上しており、ヘイワース、レスリーら魅力的なヒロイン女優とダンスだけでなく演技のかけあいで十分に見せてくれる映画になっています。長々書いてきたのはそれさえ言えばあとは前書きで書いた内容で今回の3作はほぼ尽きており、戦時中の『晴れて今宵は』『青空に踊る』で俳優としての達成に手応えのあったアステアは特殊なオムニバス・レヴュー映画『ジーグフェルド・フォリーズ』ではいわば本人役で舞台芸を披露して原点に戻り、まだ契約の残っていたMGMの『ヨランダと泥棒』'45、パラマウントの(クロスビーとの共演で『スイング・ホテル』の兄弟作)『ブルー・スカイ』'46に出演しますが、『ブルー・スカイ』はマーク・サンドリッチ監督作として企画されるも撮影直前でサンドリッチが急逝したためスチュワート・ヘイスラーが代役監督した作品になりました。40代後半にさしかかり、そろそろ引退を考えていたアステアにとってRKO時代からの恩人サンドリッチの逝去は潮時の感を深くしたでしょう。同作をもってアステアは引退を宣言しますが、ジーン・ケリージュディ・ガーランド主演で撮影が開始されていたMGM作品『イースター・パレード』'48がケリーの負傷のためアステアが急遽代役出演することになり、結果は大好評の大ヒット作となったため引退は撤回され、アステアはMGMの看板スターとして返り咲くことになります。この辺で『晴れて今宵は』に戻り、日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ 解説 ]「スイング・ホテル」のフレッド・アステアと「肉体と幻想」のリタ・ヘイワースが主演する歌と踊りの音楽喜劇で、「ロバータ」のウィリアム・A・サイターが監督したもの。ストーリーはカルロス・オリヴァリとシクスト・ポンダル・リオスが書きおろし、マイケル・フェシア、アーネスト・パガノ及びデルマー・デイヴスが協力して脚色した。歌はジョニー・マーサー作詞、ジェローム・カーン作曲の佳調で、ダンス振付はヴァル・ラセット、撮影指揮はテッド・テズラフ担任。助演は「モロッコ」のアドルフ・マンジュウを始め、新人レスリーブルックス、アデール・メイラ等で、ザヴィエル・クガートが彼の管弦楽団と共に出演している。コロムビア社1942年作品である。
[ あらすじ ] ニューヨーク第一のダンサー、ロバート・デイヴィス(フレッド・アステア)は、大の競馬狂で休暇を利用してブエノス・アイレスへ遊びに来たが、競馬で一文無しになってしまう。クアーニャ・ホテルの青空ホールというナイト・クラブに2、3日出演して、帰りの旅費をかせごうと思ったが、変人で短気者のアクーニャ(アドルフ・マンジュー)に断られ、ホールに出演している友人のクガート(ザビア・クガート、本人出演)に出会いクガートの計らいで、アクーニャの長女の結婚式の余興に出演する。これもアクーニャに認めてもらえないが、アクーニャにはなお三人の娘があり、三女と四女には愛人があるが次女マリア(リタ・ヘイワース)にはない。マリアにロマンチックな気持ちを起させようと、父は匿名の恋文を毎日5時に花束と共に贈る。マリアはその匿名の恋人をロバートと勘違いして色々と間違いを起し、アクーニャの家庭が滅茶々々になろうとする。その時ロバートは罪を一人で引受けるのでアクーニャは彼の味方となり、マリアとロバートの愛が成立する。
 ――戦時中のアステア映画は『踊るニュウ・ヨーク』'40が最後の日本公開作(昭和15年8月)だったので、本作が戦後初の日本公開(昭和22年5月27日)、翌月に『スイング・ホテル』'42(日本公開昭和22年6月18日)と続きます。ヘイワースとの最初のコンビ作で『スイング・ホテル』の前作の『踊る結婚式』'41の日本公開は昭和23年2月10日になったので、特に内容はシリーズものではないので新しい作品から先に日本公開したと思われ、『踊るニュウ・ヨーク』の次作で『踊る結婚式』の前作、アステア自身がのちに「出演作中最低」とするアストール映画社製作・パラマウント配給の『セカンド・コーラス』'41は戦後も日本公開が見送られヴィデオ・リリースのみになりましたから戦中作品の一斉公開では見劣りがする作品、と早くから判断されていたのでしょう。セクシー女優リタ・ヘイワースとアステアではコブラ対キリギリスほど不つりあいではないかとハラハラしながら観ると『踊る結婚式』は助平親父役のロバート・ベンチリーの怪演もあり、ヘイワースは抑えた演技も上手く意外なほどアステアとの組み合わせも良くいっていて楽しい佳作でした。ヘイワースはジンジャー・ロジャースに生硬な演技にあえて近づけたのでしょうが、ロジャースも踊ると一転して華やかな女性的魅力が全開になるので、ロジャースと組んでいた時のアステア映画の良さをヘイワースによって再現し洗練させたような作品でした。本作はアドルフ・マンジュー(!)がヘイワースの過保護な親馬鹿親父役、アステアのバックにつくのはコミック・イラストレーターとしても知られる「ルンバの王様」ザビア・クガート(本人役!)楽団で、クガートがマンジューの戯画を即興で描くシーンもちゃんといれてある。深窓の令嬢と偽ラヴレターという趣向はRKO時代のジョーン・フォンテーンをヒロインにした『踊る騎士』'37のヴァリエーションですが、本作は恋愛に興味のない行き遅れの娘に見合いの気を起こさせるために過保護親父のマンジューが偽ラヴレターを書くも、それがブエノスアイレス巡業中のアステアからの手紙とヘイワースが勘違いし、偽ラヴレターの真相が判明する頃にはアステアとヘイワースに恋が芽生えているがわかってしまうと面子が邪魔になってくる、とややこしい恋愛コメディにアレンジしてあり、映画のストーリーにジョニー・マーサー作詞=ジェローム・カーン作曲の2名曲「デアリー・ビラヴド」と「アイム・オールド・ファッションド」がばっちり絡んでくる。本作ではアステアとヘイワースの会話がいつしか歌になり、それがヴァース部分となって歌とダンスに移るいかにもミュージカル映画らしいシークエンスの演出が巧妙かつ自然で、ドラマ部分の演技とミュージカル場面に無理なつぎはぎ感がないのも感心します。アステアは歌も演技もますます上手くなっており、本作からの2曲はアステア版のレコードがヒットしたほどで、アステアの唱法はクルーナー・タイプですが男性クルーナーの名歌手はビング・クロスビーが第一人者なので(また演技力もクロスビーの方が上なので)、『スイング・ホテル』で共演したことでクロスビーの唱法と演技からアステアが学んだのがさっそく生かされた作りになっている。ヘイワースの演技もより余裕が出てプロダクション・ナンバーでのダンスも『踊る結婚式』以上にアステアと互角に渡りあうものになっており、製作費は未発表ですが興行収入160万ドルは太平洋戦争真っ只中では大ヒットでしょう。次作が戦時中の慰問映画的な企画となれば、アステアとすればここまで行けばそろそろ引退への花道を考えてもおかしくなかったと思われる充実した作品です。もちろんヘイワースの出演作としても女優キャリアの中でも旬の時期だけあって、凄みの効いた作品の美貌のヘイワースもいいですが、こうした軽やかなミュージカル・コメディの佳作があるのも嬉しい気がします。

●3月17日(日)
『青空に踊る』The Sky's the Limit (RKO'43)*89min, B/W : アメリカ公開1943年9月3日、日本公開昭和22年9月30日
監督 : エドワード・H・グリフィス/共演 : ジョーン・レスリーロバート・ベンチリーロバート・ライアン
◎タイガー飛行隊の英雄として凱旋帰国したフレッド中尉。休暇中の彼は女性カメラマンのジョーンに一目惚れしてしまうが、雑誌の編集長も彼女に恋をしていると知ると……。大戦中らしい筋立てのミュージカル。

イメージ 4

 今回は前書きでほとんど見どころは上げてしまったし、前作『晴れて今宵は』でもだめ押しのようにこの時期のアステア映画の流れを書き連ねたしで本作についてもつけ足すことはあまりないのですが、これまでのアステア映画ではRKO時代にジンジャー・ロジャースとのコンビ作品が一旦行き詰まった時にデビューしたばかりの芳紀19歳の新人女優ジョーン・フォンテーン(1917-2013)をヒロインにした『踊る騎士』'37があり、ひさびさに古巣RKO社作品に主演した本作も10歳から子役出演し、前年のワーナー作品『ヤンキー・ドゥードル・ダンディ』'42でようやくスターの座についた17歳のジョーン・レスリー(1925-2015)を相手役にした作品で、レスリーは元クラブ歌手で今は地方新聞社のカメラマンという役、ロバート・ベンチリーレスリーを口説いている独身中年の新聞社社長で、この街に撃墜王の勇士の空軍少尉のフレッド・アステアが10日間の休暇が国威発揚キャンペーン・ツアーで各地をまわるだけなのに飽きて、戦友のロバート・ライアン(!)の制止を振り切ってツアー列車から脱走してきてしまう。アステアは街をぶらぶらしているうちにレスリーに一目惚れしてしまい、無職でホテル暮らしをしているととぼけるアステアをレスリーは何とか職につかせようとする。やがて軍務復帰の日になって……と製作費87万ドルと物価比率からすればRKO時代の『トップ・ハット』'35や『艦隊を追って』'36と同程度の規模の予算の作品ですが(戦中作のため、コロンビアの前作『晴れて今宵は』も同規模と思われます)、興行収入は220万ドルと戦時下としてはまずまずのヒットになりました。本作の書き下ろし楽曲からもレスリーが歌うジョニー・マーサー作詞=ハロルド・アーレン作曲の「マイ・シャイニング・アワー」、アステアが歌う「ワン・フォー・マイ・ベイビー」がスタンダード曲になり、前作『晴れて今宵は』の「デアリー・ビラヴド」、本作の「マイ・シャイニング・アワー」はともにアカデミー賞主題歌賞にノミネートもされており、バーリンガーシュインが全力をふるった作品よりは小粒ですがジェローム・カーンやハロルド・アーレンも大家なのでアステア映画はスタンダード曲の源泉になったのが強みの感を深くします。本作は日本初公開時のキネマ旬報の詳細な紹介はされなかったらしく、同社データベースの内容は後年の作品辞典用の記載のようですが、一応資料として引いておきましょう。
[ 解説 ] フレッド・アステアを空の有士に仕立て、雑誌の美しい写真部員ジョーン・レスリーとの恋をみのらせるという、いかにも第二次大戦中らしい筋立てに歌と踊りを配した喜劇。本筋よりもロバート・ベンチリーの雑誌社社長のからみに面白味がある。監督はエドワード・H・グリフィス。踊りの振付はアステア自身である。
[ あらすじ ] アメリカ空軍パイロットで撃墜王の異名を持つフレッド・アトウェル(フレッド・アステア)が、10日間の休暇を過ごすため、ニューヨークに降り立つ。 クラブに立ち寄ったフレッドは、雑誌カメラマンのジョーン・マニオン(ジョーン・レスリー)と知り合い付き合うようになった。10日後には軍の任務に戻らなければならないフレッドは、素性を隠してジョーンと付き合うものの、お互い惹かれあっていくのは避けられないことだった。 素性を隠したまま、10日間の休暇が終わり、フレッドが空港から飛び立つ時間が迫る中、 雑誌社の社長(ロバート・ベンチリー)が粋な計らいを……。
 ――映画は空軍戦闘機に乗って凱旋してくるアステアのうそくさい映像から始まり、13機を撃墜したというアステアの部隊が凱旋パレードで祝賀される光景に移ります。もちろん撃墜したというのは日本軍の戦闘機なので、早くも昭和22年9月に日本公開されたのが日本人観客を刺激しなかったかハラハラしますが、その辺は少ししか触れられないのでカットしたか字幕に訳さないで濁したかもしれません。映画の内容は期限つきデートの話なのでシチュエーションは違いますが平成天皇ご夫妻最愛の映画と伝えられる『ローマの休日』のようなものです。ジョーン・レスリーは子役出身の芸歴だけに歌もなかなかですが、若いだけにリタ・ヘイワースの歌のようなヴォリューム感なはく、まだ本作は達者な声優の歌といったところです。しかし本作の魅力はアステアやベンチリーら父親ほども年上の男に背伸びして張りあうレスリーの清潔感のある存在に負う面が大きいので、恋愛コメディというよりもレスリーによる青春映画ふうのムードが強く、アステアは最初から30男の映画デビューでしたし相手役もそれに見合う年頃の女優でしたので、唯一10代ぎりぎりのジョーン・フォンテーンが相手役だった『踊る騎士』もフォンテーンは貴族令嬢役だったので青春という感じではなかった。本作のレスリーは実年齢よりは年上の20代前半の役を演じているはずですし、ちゃんと社会人女性役の演技が板についているのですが、表情や仕草、声にまだ17歳のあどけなさが見え隠れするので、アステアとのロマンスも恋愛というよりもっと淡い恋の香りがします。本作はこれまでのアステア映画でダンス場面がもっとも少なく感じられる映画ですがレスリー相手のアステアの余裕のある演技とレスリーの爽やかさ、コメディ・リリーフ的ないい人役のベンチリーの好演で満足感はとても高い作品になっています。結末も悲壮な感じは微塵もないのがこういう映画では正解で、本作の意図は銃後映画だったでしょうがそういう臭みもまったくない。これはこれで立派な仕上がりと思えるものです。

●3月18日(月)
ジーグフェルド・フォリーズ』Ziegfeld Follies (MGM'46)*109min, Technicolor : アメリカ公開1945年8月13日、日本公開昭和64年1月7日
監督 : ヴィンセント・ミネリ他/共演 : ウィリアム・パウエルジュディ・ガーランドルシル・ボール
◎1932年に亡くなった舞台演出家フローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアに捧げるオムニバス映画である。ウィリアム・パウエル演じるジーグフェルドが天国から新たに作品を手がけるというストーリーで、アステアとG・ケリーの初共演にも注目!

イメージ 5

 ブロードウェイの大プロデューサー、フローレンツ・ジーグフェルド(1867-1932)は1907年から1931年までレヴュー「ジーグフェルド・フォリーズ」を主催し、MGMの伝記ミュージカル映画大作『巨星ジーグフェルド』'36はアカデミー賞作品賞を受賞しています。本作は同作でジーグフェルドを演じたウィリアム・パウエルが天国の宮殿で幸福な日々を回想し(あっと驚く3DCGアニメそこのけの人形アニメでかつての劇場が描かれます)、現代のキャストで自分が新作を構想したらどんなものができるだろうか、というプロローグに続いてフレッド・アステア実名出演のショート・インタビューでジーグフェルドの人物像が語られ、あとは映画の最後までオムニバス形式で13のレヴューが次々と演じられるという、興行収入564万ドルは大ヒットとしても製作費も普通の映画8~10本分の340万ドルの大作で、公開時のポスターに" Greatest Production Since The Birth of Motion Pictures ! "と映画史上空前の大作と謳っているほどです。監督だけでもヴィンセント・ミネリを筆頭に7人、各エピソード毎に関連性はなく(強いて言えば8編目のレナ・ホーンの歌う「ラヴ」に対応して映画を締めくくるキャスリン・グレイスンが歌う最終編「ビューティ」が対応する、といった具合に、緩い配分だけですが)、はてさてこれを一般の劇映画と同列に見ていいものか。本作はアステアの後輩に当たるダンサー出身俳優のスター、ジーン・ケリー(1912-1996)とアステアの唯一の共演パートがある映画で、'42年映画デビュー、'44年の『カヴァー・ガール』でスターになったケリーは本作当時はまだ新人で、本作での共演パートは新旧スター交代劇を思わせるものでした。13編のレヴューのうち歌唱のみのレヴューが3編、コント(笑劇)が4編、水中バレエが1編、歌と台詞つきダンス・レヴューが3編、無言劇のダンス・レヴューが2編という配分ですが、ダンス・レヴュー5編のうち無言劇2編を含む4編はアステア主演で、アステア主演のレヴューは長く数も多いのでキャスティング・リストのトップはアステアです。本作は昭和64年まで日本では劇場未公開だったので、キネマ旬報にも簡単な紹介しかありません。
[ 解説 ] 32年にこの世を去った名プロデューサー、フローレンツ・ジーグフェルドが天国で回想した自分の作り出したショーの数々を描く。製作はアーサー・フリード、監督はヴィンセント・ミネリ、撮影はジョージ・フォルシーとチャールズ・ロシャー、振付はロバート・アルトンが担当。出演はフレッド・アステアジーン・ケリーほか。作品構成は「F・アステア篇」、「J・ガーランド篇」、「E・ウィリアムズ篇」、「コミック・スケッチ篇」、「『凡人と俗人』篇」などMGM映画を代表するスターの総出演からなる。
 ――さすがに本作はあらすじの起こしようがなかったようで、それだけです。伝説の水中バレエ・スター、エスター・ウィリアムズなどは観ていて息苦しくなるようで、4つあるコントは人気タレントのキャラクターだよりの代物でいずれもくだらなく、歌唱レヴューはただ豪華セットと衣装で歌っているだけ、と見どころはプロローグの人形アニメと本編に5つあるダンス・レヴューだけですが、オープニングの"Here's to The Girls"はほとんどパレードみたいなものなので多少なりとも物語性があるのは4編、うち"A Great Lady Has an Interview(インタビューを受けるスター)"はジュディ・ガーランドの独壇場で内容はコントに近いもので、そうなるとアステア出演の残る3編が目玉です。無言劇2編はアステア入魂のマイム&ダンス芸と言ってよく、紳士スリ師を演じる"This Heart of Mine(キミに捧げるこの思い)"、幻想的な中華街の悪夢"Limehouse Blues(ライムハウス・ブルース)"の2編がそれで、特に中国人役を演じる後者はグリフィスの『散り行く花』やロン・チェイニーの中国人ものを彷彿とさせますが、独立した短編映画として観た方がいいような異彩を放っていてオムニバス映画の1編としては疑問です。アステアとケリーの"The Babbitt and The Bromide(俗物と退屈な人)"は次の最終編がエンド・テーマ曲であることから全編のクライマックスとも言える見世物ですが、稀代の千両役者ふたりのかけ合いにしては軽く流した観が否めません。本作は時代を切り取った見世物映画と割り切って観れば大映画会社MGMの見本市でもあり映画会社とタレントのPR映画で、アメリカ映画がグローバルどころかとんでもなくローカルな観客層しか眼中にない時にいかに馬鹿げたものを作るかを露わにしてしまったようなもので、芸術的感興などといったものはアステアの無言劇にようやく少しは見える程度ですが、映画技法として戦後アメリカ映画の撮影・演出技法が見られ、またアステア出演作初のカラー作品である以外は闇鍋のような作りが美点すら相殺しているので、オールスター・キャスト(ただしアメリカのみ通用)のオムニバス映画という形式に徳用的価値があった時代を過ぎると中途半端な珍品にとどまる結果になっている。ただし太平洋戦争終結がほぼ決定的になったこの時期に(日本のポツダム宣言受諾2日前の本国公開です)、本作は時期を見越した戦勝凱旋記念作品のような景気ものだったのでしょう。昭和最後の年に日本初劇場公開になったのも何かの因縁のような気がします。
(1)フレッド・アステアルシル・ボール、ヴァージニア・オブライエン"Here's to The Girls"(歌&ダンス・レヴュー)
(2)エスター・ウィリアムズ"A Water Ballet"(水中バレエ)
(3)キーナン・ウィン"Number Please(番号をどうぞ)"(コント)
(4)ジェームズ・メルトン、マリアン・ベル"Traviata(椿姫より乾杯の歌)"(歌唱)
(5)ヴィクター・ムーア、エドワード・アーノルド"Pay The Two Dollars(2ドル払って)"(コント)
(6)フレッド・アステア、ルシル・ブレマー"This Heart of Mine(キミに捧げるこの思い)"(ダンス・レヴュー、無言劇)
(7)ファニー・ブライス、ヒューム・クローニン"A Sweepstakes TICKET(宝くじ)"(コント)
(8)レナ・ホーン"Love(ラブ)"(歌唱)
(9)レッド・スケルトン"When Television Comes(テレビジョン時代)"(コント)
(10)フレッド・アステア、ルシル・ブレマー"Limehouse Blues(ライムハウス・ブルース)"(ダンス・レヴュー、無言劇)
(11)ジュディ・ガーランド"A Great Lady Has an Interview(インタビューを受けるスター)"(歌&ダンス・レヴュー)
(12)フレッド・アステアジーン・ケリー"The Babbitt and The Bromide(俗物と退屈な人)"(歌&ダンス・レヴュー)
(13)キャスリン・グレイスン"Beauty(ビューティ)"(歌唱)