人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

裸のラリーズ Les Rallizes Denudes - 夜、暗殺者の夜 Night, Night of The Assassins (Rivista, 1991/Rec.'77)

裸のラリーズ Les Rallizes Denudes - 夜、暗殺者の夜 Night, Night of The Assassins (Mizutani Takashi) (Rivista, 1991/Rec.'77) : https://youtu.be/uog1U_Kemlk
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(Unofficial Phoenix Records "Heavier Than A Death in The Family" CD Front Cover & Original Rivista "'77 Live - Most Violence Version" CD Front Cover)
Recorded live at 立川社会教育会館, March 12, 1977
Originally Released by Rivista Inc SIXE-0400 as 2CD "'77 Live - Most Violence Version", August 15, 1991
Unofficially Released by Not on Label on 1995 as "Heavier Than A Death in The Family", also Phoenix Records ASHCD3037, 2010
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Denudes]
水谷孝 - vocal, lead guitar
中村武志 - rhythm guitar
楢崎裕史(HIROSHI) - bass
三巻俊郎(サミー) - drums

 裸のラリーズは京都の大学生だった水谷孝が1968年に大学生仲間と結成し、水谷氏以外のメンバーは流動的ながら1970年頃までレギュラーバンドとして活動したのち実質水谷氏のソロ活動を経て一時期は京都の新進バンド村八分と合流し、村八分をバックにした水谷氏の裸のラリーズ、水谷氏抜きで村八分裸のラリーズ名義でライヴ活動するというややこしい形態になりました。単身で東京に上京した水谷氏は新たなメンバーと新曲のデモテープ作りに数年を費やし、水谷氏中心のレギュラーバンド形態のラリーズのライヴ活動は1972年頃から再開されます。1968年~1970年の初期音源はのちCD『'67-'69 STUDIO et LIVE』'91にまとめられ、上京以降の70年代初頭の実質的な水谷氏のソロ時代のデモテープ、ライヴはCD『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』'91にまとめられます。1974年には吉祥寺のロック・ハウス「OZ」の閉店記念2LPオムニバスアルバムのD面に新録音4曲を提供し、長らく同オムニバスがラリーズ唯一の発表録音作品でした。ラリーズ独自のスタイルは1972年~1975年にかけて確立しつつありましたが、結成当初からのオリジナルメンバーの中村武志リズムギター、OZのスタッフ出身の三巻俊郎のドラムスに加えて、京都の伝説的な先駆的EL&Pスタイルのヘヴィ・プログレッシヴ・バンドだててんりゅう~東京アンダーグラウンドのヒーロー的バンド頭脳警察のベーシストを歴任した楢崎裕史の加入はラリーズの音楽的強度を一変させ、1976年~1977年には最強のアンダーグラウンド・バンドとして名を轟かせることになります。しかしラリーズは一貫して単独アルバム制作に応じず、レパートリーは極端に制限してライヴに専念し(1968年の結成から1997年の活動休止まで約20曲、うちライヴ・レパートリーは10曲以下に限られました)、2時間のライヴでも演奏曲目は長大な6、7曲というバンドだったので一部の熱心な固定ファンはついても当時の一般的なリスナーには実態不明の極みのような存在でした。ラリーズがついに自主制作盤を発表したのは1991年、同時に『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』『'77 Live - Most Violence Version(2CD)』の3作が発売されましたが限定プレスの上に通常の新作CDの倍以上の定価、しかも予約枚数に満たない枚数しかプレスされず予約者の一部にしか手に入らないという阿鼻叫喚を呼び、瞬時に転売価格・中古相場が定価の10倍以上に跳ね上がる事態になりました。

 当時来日していたサーストン・ムーア(ソニック・ユース)、ジュリアン・コープ(元ティアドロップ・エクスプローズ)らがラリーズを発見したのがこの時期で、ムーアやコープの賞賛によって西洋圏でのラリーズ評価は知られざる極東の先駆的サイケデリック・モンスターとして急速に進みました。1987年以来5年間フランスに移住していた水谷氏が帰国後にライヴを再開すると、水谷孝渡欧中に初の単独アルバム3作をアーカイヴ・リリースしていたラリーズはかつてない注目を浴びることになりました。発売即廃盤だった公式アルバム3作は国内外で海賊盤再発され、また関係者の間で出回っていた未発表スタジオ音源・発掘ライヴが次々と非公認盤としてCD化され、現在ではラリーズのアルバム総数は国内外で200枚を越えています。ウィキペディア各国語版ではラリーズの項目は詳細を極め、日本のロック史上最高のバンドと熱狂的な海外評価を集めています。米音楽サイトrateyourmusic.comに寄せられた投稿(文中のLRDはLes Rallizes Denudesの略号)には、
「'77 Live is the best recording you'll find of them for sure. One of my favourite albums ever.
 '77 Live is the classic, but tbh it's fine to just listen to individual tracks in whatever order/at whatever pace because they have no studio albums and most of their recordings are bootlegs and/or compilations anyways. btw, I wouldn't really go for the "best sound quality" myself because the no-fi, overblown recording quality is part of what gives LRD their unique atmosphere.
 Try to listen to everything by them, they are the greatest band that ever existed and Mizutani Takashi is a god. 」
 と、もう大変な熱狂的評価です。「ラリーズの残した音楽すべてに耳を傾けよう。彼らはこれまで存在したもっとも偉大なバンドであり、水谷孝は神の一人(a god)だ」大丈夫でしょうかこの人は。
 筆者がラリーズのライヴを一度だけ観たのは高校生時代、1981年の大学の音楽サークル主催のホール・フェスティヴァルでしたが、暗黒大陸じゃがたらなどの新進気鋭のバンドに続いてサングラスに黒ずくめの長髪バンドが出てきてMCも何もない、周りの客が「ラリーズだ……」と交わしているのでこれが(当時)日本最長寿バンドのラリーズか、と演奏が始まると1時間鼓膜が破れる限界の爆音ノイズの嵐で、どこからどこまでが曲か楽曲の区別もつかない。風速40メートルを越える台風に呑まれた大海原に沈みかけた船底に響いているような音像に肉体的な苦痛すら覚えるようなサウンドで、ラリーズはヘヴィ・サイケ、アシッド・フォーク(アルバム『MIZUTANI -Les Rallizes Denudes-』)、スペース・ロック、クラウトロック、エクスペリメンタル、アヴァンギャルド、プロト・パンク(または早すぎたポスト・パンク)、ノイズ・ロック、インダストリアルとさまざまに呼ばれていますが、基本的には3コード・8ビートのロックンロールです。1976年から演奏されるようになった「夜、暗殺者の夜」はラリーズとしてはもっともポップな印象を受ける楽曲で、歌詞はボードレールの「自らを罰する者」(詩集『悪の華』1857)をパラフレーズしたものなのはすぐわかりますが(日本人リスナーには日本語詞がダイレクトに響いてくるのも魅力です)、ノイジーなギター、アナログ式テープ・リヴァーヴをかけたヴォーカルの異様さに反してキャッチーなベースのオスティナート(いわゆるリフ)は、1963年に全米チャート1位の最年少女性歌手の記録とともに記憶されるこの曲に由来するものです。

Little Peggy March - I Will Follow Him (RCA Victor, 1963) : https://youtu.be/5JVhbusBDi4

 しかし裸のラリーズはアモン・デュールII、ホークウィンド(この独英2バンドは兄弟分の間柄でした)らヘヴィなスペース・ロック(即興性の強いルーズなアシッド系プログレッシヴ/ハードロック)に同時代的な関心を抱いていたのはアモン・デュールIIの別ユニット、アモン・デュールのアルバム「Disaster」を(Diza-Starと綴りを変えてですが)事務所名にしていたことでも知れるので、アモン・デュールIIのこの曲が「I Will Follow Him」と「夜、暗殺者の夜」の掛け橋になっていると考えられる。アモン・デュールのこのホークウィンドに捧げた曲は10分近いアルバム最後の大作ですが、サイケデリックインプロヴィゼーションが続いた挙げ句6分台末から「I Will Follow Him」のベース・オスティナートとリズムパターンになってエンディングまで続きます。「I Will Follow Him」はブリティッシュ・インヴェンジョン前夜の最後のピュアなアメリカのティーニー・ポップの大ヒット曲ですが、それをアシッド・ロックに混淆するアイディアはラリーズの「夜、暗殺者の夜」以前にアモン・デュールIIの「Hawknose Harlequin」にありました。案外気づかれていないと思われます。
Amon Duul II - Hawknose Harlequin (United Artists, 1972) : https://youtu.be/SEAcPQiH9qM

 なおラリーズの2CD『'77 Live - Most Violence Version』は公式アルバム3作中もっとも評価の高いアルバムですがオリジナル盤は入手困難、2CDのままのリブート盤も入手しづらいので、同作の全7曲から2曲を割愛して公式アルバム未収録曲「造花の原野」(People Can Choose aka Field of Artificial Flowers : https://youtu.be/bT78NuRDxR8)の'73年の素晴らしいライヴテイクを代入した『Heavier Than A Death in The Family』はシンプルな1枚もので一気に聴ける好編集の人気盤なので、『'77 Live - Most Violence Version』に代わるアルバムとしても(「記憶は遠い」と「The Last One」の割愛は残念ですが)、プレス枚数も多く定期的に再プレスされ一般の輸入盤店でもハーフ・オフィシャル盤扱いで廉価に手軽に入手できる(もちろん『'77 Live』の「夜、暗殺者の夜」も収録されている)同アルバムを推薦しておきたいと思います。「造花の原野」もラリーズの代表曲であり、ホークウィンド'71年のアルバム『宇宙の探求』中の画期的楽曲「Masters of The Universe」(ライヴ盤『宇宙の祭典』'73収録テイクも名演 : https://youtu.be/tOUxDN8cvto)のギターリフとリズムパターンを流用したアレンジはこの73年ヴァージョンが唯一です。ジュリアン・コープも日本ロック史研究書『ジャップロック・サンプラー』2007で日本のロックの名盤ベスト50の3位に『Heavier Than A Death in The Family』を上げています。コープ選の日本のロックの古典的名盤ベスト5は1位フラワー・トラベリン・バンド『SATORI』'71(ワーナー・パイオニア)、2位スピード・グルー&シンキ『イヴ 前夜』'71(ワーナー・パイオニア)、3位ラリーズ、4位ファー・イースト・ファミリー・バンド『多元宇宙への旅』'76(日本コロムビア)、5位J・A・シーザーJ・A・シーザー・リサイタル 国境巡禮歌』'73(日本ビクター)と、ラリーズだけ発掘ライヴ盤、しかもメジャーからでも何でもない自主制作盤原盤としては破格の評価をしており、コープの著書(前記アーティスト、もちろんラリーズにもまるまる一章を割いて詳述しています)が21世紀にラリーズの評判を高らしめたとも言えます。またラリーズの音楽には明らかにヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジャックスの痕跡が認められますが、ヴェルヴェット(ルー・リード)はさておき、水谷孝はジャックスからの感化は一切否定しています。
 なお4人編成のライヴ音源なのにリズムギターリードギター以外のギターの唸り声がドローン状に鳴っているのが聴こえるのはオーヴァーダブではなくて、水谷氏はオープンチューニングのギター2、3本をアンプの前に立てかけてフィードバック音を鳴らしっぱなしにしているからで(エフェクターペダルで操作しています)、こんな奏法はピート・タウンゼントジェフ・ベックジョン・マクラフリンもジミヘンもデレク・ベイリーも演ってなかったはずというか、普通思いついても実行するものでしょうか(これは「夜の収穫者たち(The Night Collectors)」: https://youtu.be/aPm9V4e8Idcのような曲ではもっと顕著です)。ラリーズの場合それがちゃんと(ノイジーとは言え)音楽としての形をなしていて、即興性の中に的確な構成力が働いています。しかもこの「夜、暗殺者の夜」、一聴してまるで気づきませんが、楽曲としてはエルヴィス(というかビッグ・ママ・ソーントン)の「ハウンド・ドッグ」やジャニスの「ボール・アンド・チェーン」と同じ典型的な12小節ブルース(AA'B形式)のリズム&ブルース歌曲です。こんなブルース味の皆無なブルースがあっていいのでしょうか。解剖学的分解ではまるで異質なものばかりで成り立っていて、それがノイジーなロックの見かけから異質とは感じられないようになっている。本質的にはラリーズのロックは未知の領域に向かう異形の音楽です。そして音楽の条件には構成美も造型性も絵画的・映像的喚起力も経験も情感も陶酔も等価であるはずで、それには作者にも鑑賞者にも全人性の投入・反映とその結果の混沌と明快さがどちらも並存し得ると考えられます。特定の角度のみでしか見ない感受性は必ず何かを見落とします。ラリーズがアルバム制作によって決定版テイクを残すのを拒否し続けたのはそうした考えによるものでしょう。また音楽に限らず全人性を欠いて形から入った技能は芸術には昇華されず芸能にとどまるとも思えます。「夜、暗殺者の夜」がどう聴こえるかは聴き手の全人的感受性に対して試金石ともなる一例となり得るとするのは我田引水にすぎるでしょうか。