人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

セヴンス・サンズ The Seventh Sons - ラーガ Raga (4:00 a.m. At Frank's) (ESP, 1968)

セヴンス・サンズ The Seventh Sons - ラーガ Raga (4:00 a.m. At Frank's) (ESP, 1968) Full Album : http://underflow.gr/product/raga-4-a-m-at-franks/

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Recorded at Frank's Baltimore Pad loft, 1964
Originally Released by ESP Disk ESP 1078, 1968
(Side A)
A1. Raga (4:00 a.m. At Frank's) - 16:04
(Side B)
A1. Raga (4:00 a.m. At Frank's) - 16:26

[ The Seventh Sons ]

Buzz Linhart - guitar, vibraphone, vocals
James Rock - electric Bass, vocals
Serge Katzen - percussion, vocals
with
Frank Eventoff - flute (special guest)

(Original ESP Disk "Raga" LP Liner Cover & Side A Label)

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 フリー・ジャズのインディー・レーベル、ESP Diskはニューヨークで1964年に設立され、第1弾アルバムのアルバート・アイラー『Spiritual Unity』や第2弾となったサン・ラの『The Heliocentric Worlds of Sun Ra, Volume One』、1965年に3年間のブランクから活動再開したオーネット・コールマンの発掘ライヴ『Town Hall, 1962』などの話題作で一躍国際的に知られるようになりましたが、1965年にESP18枚目にして初めてロックのアルバムとして発売されたのが『Village Fugs』としてフォークのインディー・レーベルから自費出版されたアルバムを改題再発した『The Fugs First Album』で、全米アルバム・チャート142位のヒット作になりました。ファッグスは詩人・ジャーナリストとしてすでに名をなしていたトゥリ・カッファーバーグとエド・サンダースが自作曲を発表するために結成したバンドで、メンバーにはホリー・モーダル・ラウンダースやダニー・コーチマー、チャールズ・ラーキーらのちにキャロル・キングの『つづれおり』1971に参加する実力派ミュージシャンを含み、1969年の解散までニューヨークのアンダーグラウンド・ロックでもっとも高い同時代的評価と商業的成功を収めたバンドでした。デイヴィッド・ボウイもESPディスクから発売されたファッグスのセカンド・アルバム『The Fugs (The Fugs Second Album)』1966(全米95位)をフェヴァリット・アルバム25選に上げているほどで、'70年代以降のヴェルヴェット・アンダーグラウンド再評価以前はファッグスはロサンゼルスのフランク・ザッパマザーズと肩を並べる東のアンダーグラウンド・ロックの雄とされていたのです。以降ESPディスクは1974年の活動休止までフリー・ジャズと平行してザ・ゴッズ、パールズ・ビフォア・スワインらニューヨークのアンダーグラウンド・ロックのアルバムを40枚あまりリリースしました。ESPディスクというレーベルの性格上それらは一般的なポピュラー音楽の尺度では怪盤・珍盤のオンパレードなのですが、このセヴンス・サンズの唯一のアルバムは1964年に自主制作録音されていたのがどこのレコード会社への売りこみも断られ、ようやく1968年になってESPディスクから発売されたものです。アルバム1枚A面とB面通しで30分あまりの即興演奏曲「ラーガ」全1曲。ジャズではオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ (Free Jazz)』Atlantic, 1962(録音1961年末)が同様のAB面全1曲36分の構成ですが、8人編成のメンバー全員第一線の一流ジャズマンだった『フリー・ジャズ』とは違い、4人のアマチュア・ミュージシャンが週末休みに仲間の実家で民生用テープレコーダーで録音した、ESPディスクが拾いあげなかったら陽の目を見ることもなかったようなアルバムです。

 ロックのラーガ調楽曲と言えばビートルズの「ノーウェジアン・ウッド」(1965年10月録音、アルバム『ラバー・ソウル』同年12月収録)がもっとも有名でしょうが、それに先立ちヤードバーズエリック・クラプトン脱退、ジェフ・ベック加入後の第1弾シングルとして1965年2月録音、同年6~7月に全英2位・全米9位の大ヒット曲になった「ハートせつなく(Heart Full of Soul)」(のちに10c.c.を結成するグレアム・グールドマン提供曲)があり、同時録音された次のシングル「いじわるっ娘(Evil Hearted You)」(1965年10月発売)もグールドマン提供曲で全英3位のヒット曲でジェフ・ベックの革新的リード・ギターが光る曲ですがB面の「スティル・アイム・サッド(Still I'm Sad)」はメンバー全員共作のグレゴリオ聖歌音階を取り入れた楽曲でした。これはジャズではモード(Mode=音階)技法と呼ばれる現代ダイアトニック以前の音階を用いる音階法で、マイルス・デイヴィスの1958年~1959年のアルバム『マイルストーンズ(Milestoneand)』、『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』に始まり、マイルスのバンドから独立したジョン・コルトレーンが'60年代初頭のアルバムで一気に可能性を広げて以来主流ジャズにも前衛的フリー・ジャズにも浸透していた手法です。フォーク歌手としてデビューしたボブ・ディランサイモン&ガーファンクルも民謡メロディーの応用から早くから事実上モード技法に踏みこんでおり、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア(Scarborough Fair)」(1966年7月録音、同年10月発売/1968年3月全米11位)などは典型的な教会音楽音階の楽曲です。それに先立つザ・バーズのシングル「霧の8マイル(Eight Miles High) c/w 何故(Why)」(1966年1月録音、同年3月発売/全米14位・全英24位)はジョン・コルトレーンのモード技法とラヴィ・シャンカールの現代インド音楽にインスピレーションを得た、明確にロック楽曲に実験的な手法を導入したナンバーで、ザ・バーズのこの楽曲がブルース・ロックと合流してポール・バターフィールド・ブルース・バンドの画期的アルバム『イースト・ウェスト(East-West)』(1966年7月録音、同年8月発売/全米65位)を生み出し、ロック界にもジャズ界にも衝撃を与えた同作がジャズ・ロック、サイケデリック・ロックのブームを導きだすことになります。

 そうした音楽シーンの動向、背景によってようやく陽の目を見ることができたのが素朴なアマチュア・フォーク・バンドが1964年という早すぎた時点でアルバム1枚全1曲の即興演奏ラーガ・ロックを録音していた本作で、ライナー・ノーツによるともともとはバンド創設メンバーのベーシスト、スティーヴ・ド・ヌー(Steve De Naut)が作曲していた楽譜から作曲者脱退後にメンバーが録音した即興演奏になるそうです。しかし実際の演奏はニ長調(Dメジャー)のトーナリティーにヴォーカル、フルート、アコースティック・ギター、ベース、パーカッションがこれといった指定もなく始まって終わるもので(LPや旧盤CDではA面最後はフェイドアウト、B面の始まりはフェイド・インなので32分9秒、現行CDではFO/FIがない編集になっています)、楽譜指定による即興演奏よりもっと直感的な、感覚的なアドリブでしょう。厳密にはモード技法というよりドローン(通奏低音)技法によるミニマリズム音楽で、モード技法もドローン技法も調性音楽ですがダイアトニック・スケールに限定されないためドミナント・モーションを起こさないことに共通点があります。ポピュラー音楽はシンプルなドミナント・モーションだけで出来上がっていると言えるもので、一見斬新なコード進行と聞こえても楽理的には単なる関係調以外への転調と変拍子を組み合わせただけです。ロマン派までのクラシック音楽がモチーフとソナタ形式で複雑化していたものを簡略化した小唄形式がポピュラー音楽であり、モダン・ジャズでは代理コードへの細分化によって再び複雑な手法を編み出していました。しかし通常のダイアトニック音階に拠らないモード技法の場合ドミナント進行によるコード進行そのものが消滅するため、器楽奏者は代理コード以外の極端に意識的な操作を強いられます。ロックで極限的な実例を上げればバターフィールド・ブルース・バンドの「イースト・ウェスト」と並んでクリームの「I'm So Glad」のライヴ・ヴァージョン、オールマン・ブラザース・バンドがドノヴァンの「There Is A Mountain」をモード化した「Mountain Jam」が成功例に上がりますが、マイク・ブルームフィールドやエリック・クラプトンデュアン・オールマン級のギタリストだからこそ実現できたので、通例のロックの場合はもっと直感的な演奏を指向するのが一般的です。ジャズのモード技法と較べれば折衷的な手法なのがブルースやフォーク、ロック系のモード的演奏の典型例なので、セヴンス・サンズの本作もそういう緩さに素朴で無理のない、アマチュアらしい良さがあると言えます。このバンドでもティム・バックリーほどの歌手がいたなら事情は違ったでしょうが、プロ野球も野球なら草野球も野球には違いなく、草野球のない文化にはそもそもプロ野球自体がスポーツとして存在しないでしょう。

 演奏力の低さを問題にすれば、オーレル・ニコレやセヴェリーノ・ガッゼローニのような超一流クラシック奏者、エリック・ドルフィーローランド・カークら本物のジャズマンの超絶技巧フルートに較べると本作のフルート奏者の演奏は万年予選落ちの中学校の吹奏楽部ですら補欠部員並みどころか学芸会にもなっていないのですが、ロックのフルート演奏はこれで十分なので、ジェスロ・タルやPFMのような流麗なロックはともかく、初期タンジェリン・ドリームクラフトワークの名作でもフルート奏者の演奏レベルは本作とそう大差ありません。それも当然なので、ロックには近代クラシックともモダン・ジャズとも違う基準の音楽的特性があり、クラシックやジャズ基準でロックについて語りたがるリスナーほど対位法もモチーフもソナタ形式も理解していなければ代理コードとモードの聴き分けもできない、生きた音楽の生成過程を感知できず録音作品のみの技術的達成、形式性や構築性、統一的完成度をムード的に賞賛するだけの、つまりクラシックやジャズの本質もわかっていない人ほどロックの音楽的特性を勘違いしてもいれば、本作のように特に取り柄も取り留めもないアルバムは右から左に抜けていってしまうと思われます。ESPディスクがリリースしたロック系アルバムはだいたいそうした性格のもので、ポピュラー音楽としても出来損ないであれば他に行き場がないので辛うじてロックという音楽的掃き溜めに浮遊しているような代物でもあります。1964年にはどこのレコード会社にも売りこみが失敗した音楽が1968年にはこれもロックのアルバムとして通用したこと自体が本作の成り立ちを物語っています。ロックにプロ意識が浸透した'70年代~'80年代には長く廃盤だったものが'90年代以降にはこれもかつて存在したロックの可能性の領域として見直されたのが本作を始めとするESPディスクのロック系アルバムの意義で、同時代には何の評価も商業的成功も収めなかったこの無名のアルバムですら'60年代アメリカ音楽の意識改革を照射したものになっています。本作の無欲さは現代的な演奏家意識からは生まれてこないものであり、ポピュラー音楽の支流であるロックでは珍しい、アートでもビジネスでもない音楽ならではの純粋な儚さがあります。このバンドが持ち得た唯一のアルバム、つまり本作がこのバンドの全作品たるゆえんです。