人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

もっと光を…

スタンダールの墓碑銘は「生きた、書いた、愛した」。プロの作家ではなく政治家だった。しかしこの墓碑銘は素晴らしい。先にやられたという感じだ。
漱石の死に際の言葉は「嫌だ、まだ死にたくない、今死にたくない」というようなもので(ぼろぼろだったらしい)立ち会った弟子たちに20年間秘密を守られた。カッコ悪いからだ。
鴎外の臨終の言葉はかっこいい。ふっと一息「…馬鹿馬鹿しい」。さすがだ。陸軍医師将軍という社会的にトップを努めた人なのに、墓碑銘には出身地しか彫らせなかった。
「もっと光を…」はゲーテの臨終の言葉だ。妻(別れたが)は感動した。「詩人だったのね、最後まで」「それがね、カーテンが閉まっていたそうなんだ。開けてほしかったらしい」妻はプンプンした。「そんなことなの!感動して損したわ」。可愛い女だった。
サックスを吹いてきて、バンドメイトからもらったCDをキッチンで聴いていた。妻が寄って来た。「変わった音楽ね」「戦前のブルースなんだ、アメリカの」「どういう人なの?」「映画で「パリ・テキサス」ってあっただろ?あれでメインテーマになって再評価された」ぼくはインサートに目を通した。学生時代はペーパーバック1冊は毎日読んでいたが今はCDのインサートがせいぜいだ。「盲目の人でね、ギター弾き語りの旅芸人になった。平日は路上や酒場、日曜は教会。教会のコーラス・ガールの女性と結婚して夫婦デュオになった」「いいわね」「…旅回り先の黒人・貧民専用ホテルが火事にあった。そう書いてはないけど放火だろうね。びしょ濡れになった。肺炎。奥さんは奔走したが引き受けてくれる病院はなかった」妻は絶句した「どうして!」ぼくはアメリカの医療制度を説明した。旅芸人の黒人は危篤でも救ってもらえる可能性はない。妻は悲しくなってしまった。「あなたってつらい話ばかりするのね」「きみが訊いたんだよ」
つらい話ばかりでもない。長女を懐妊中の妻とアフリカ象のドキュメンタリーを見た。妻は出産シーンでは涙が止まらなかった。象はメスと子供は集団、オスは発情期だけ訪ねてくる。
「おれ、象に生まれなくてよかったよ」
「私は象でもいいわ」と妻は笑った。