人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「ドグラ・マグラ」(2)

まず書誌的なことから触れておく、というと前回を読んでいただいた方は「次回はあらすじだったはずでは…?」とイヤな予感がすると思う。ええ、ちゃんとあらすじやります(笑)。だけどこの小説の場合、いわゆる物語(ストーリー)を粗述しても何が起っているのかよくわからないと思うのだ。
物語のほかに何があるか?構成(プロット)がある。このふたつはどちらかひとつでは成立しないもので、ことさらどちらかを意識させるような小説(劇作品でも詩でも、こうしたエッセイでも)は「あざとい」とされる。
早くも脱線気味だが、まずこの小説の成り立ちを見て、あらすじよりもプロットよりももっとこの小説の核心にあるもの、基本的な発想とアイディアをあらかじめつかんでおこうと思うのだ。結構まともなアプローチだと自分でも感心する。
まずこの小説は初版刊行時から「構想十年」と喧伝された。作者の大正15年(1926年)5月の日記に早くも「狂人の解放治療」との仮題で執筆中の記載がある。夢野久作(1889-1936)のジャーナリスト兼作家デビューは九州ローカルで33歳と遅く(「白髪小僧」1922)、全国区デビューは雑誌「新青年」の懸賞小説の次席だった(「あやかしの鼓」1926)。以来十数冊にものぼる旺盛な作品発表があり人気作家の地位を固めるが、昭和10年(1935年)5月ついに「ドグラ・マグラ」刊行、話題にはなったが批評は現れず、翌1936年1月に活動の拠点を移すべく上京するが3月に脳溢血で急逝、47歳。これが夢野久作の作家としての歩みと「ドグラ・マグラ」の成立の素描ということになる。
新青年」の看板作家・江戸川乱歩が強力なライバル出現と見てあの手この手で足を引っ張ったのは有名。「ドグラ・マグラ」の不成功も案外その辺りが影響しているフシがある。

今回は急いでまとめてしまうが、「ドグラ・マグラ」の中心アイディアは原タイトル通り精神疾患の解放病棟の提唱(当事は閉鎖病棟、しかも隔離室がほとんど)、さらに「人為的に新生児を精神障害者に育てて犯罪者にすることができるか?」というものだ。この2つがどう関連するかというと、隔離室治療の失敗をアピールすることでその大病院の責任者を失脚させ自分が院長の座にとって代わり、理想の解放病棟を作り上げるという大学時代からのライバルの野望(陰謀というべきか)がある。では次回で。