人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

わかる読書・わからない読書(2)

的確なご質問ありがとうございます。カンがいいですね。詩はそう多くの読者を対象にしたものではない代り、長年かけて一部の読者・専門家が読解していくのがほとんどです。「舌」の詩の解釈は西脇順三郎の「マラルメ以上にマラルメ的」という賛辞のおかげで思いついたものです。象徴詩というものはおおむね暗喩を使うので、日常語とは違う意味が託されていることが多いのです。

専門家の研究の例では知名度の点で「源氏物語」と宮沢賢治を挙げておきましょうか。王朝時代末期に「源氏」は国文学の最高傑作として必読書と目されていましたが、研究が進んだのはさらに五百年を経た頃からです。印刷術などなく、回し読み・筆写で貴族の間に流布したものなので、紫式部が原作者としても至るところに加筆・訂正され、事実上は集団制作であることが明らかにされました。
宮沢賢治に至っては没後発表の代表作のほとんどに複数バージョンあることが判明し、最終バージョンの解明に用紙・インク鑑定まで行われています。

作者が自作解説をする場合は大体?過去の文学作品のパロディであるもの、?故事に基づくもの、?発想が突飛なもの、という理由です。「佐伯和人句集」から引いてみましょう。まず?に属すもの、
・石ころにつまづくわれも小石かな
・あるだけの花に金魚の影もなし
前者は昭和初期の詩人・尾形亀之助の「つまづく石があれば私もそこで転びたい」、後者は夏目漱石の「あるだけの花投げ入れよ棺の中」と伊東静雄「堪えがたければわれ空に投げうつ水中花/金魚の影もそこに閃きつ」(「水中花」)の二重パロディです。
・アラン島セーターのみが漂着す
・インディアン細菌兵器で滅びけり
に?属するもの。イギリス領アラン島は土の地面や砂浜がなく岩ばかりで農業も漁業も貧しく、漁業船が遭難すると遺体は衣服でしか判別できないので、漁師の妻は非常に凝ったセーターを編みます。インディアンの句、アメリカに植民したイギリス人たちは友好のしるしにチフス菌やコレラ菌の付着した毛布を贈りました。
・蟷螂の首持ち赤きランドセル
?に属す一句。蟷螂(とうろう)はカマキリ。小学校に上がりたての女の子がこわごわ、だけど自慢げに(おそらく)お父さんに見せている初夏の情景。カマキリと赤いランドセルの対比がやや突飛。
作者の自作解説の見本になったでしょうか?