人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

女嫌いのフェミニスト(3)

これから書こうとしていることは前にも書いたかもしれない。このブログではなくても友人へのメールか日記の中での回想、または創作ノートみたいなもので書いた覚えがある。
ブログ始めてようやく3か月目に入ったが、鬱の真最中に始めて3週間目くらいに鬱のピークだったので初めの1か月分はなにを書いて載せたか漠然としか覚えていないし(そのくらいひどかった。認知力低下まで来していた)ぼくはもともと自分で書いたものは必要な時しか読み返さない上に、苦しかった時に書いた文章なんてなおさらだ。

そもそも、わざわざ鬱のひどい時にブログを始めるのがおかしい。でも鬱で引きこもっていてテレビは壊れ新聞はなくラジオも入らない、読書も作文も鬱でできないけど、携帯サイトをみたり文字打ちならできたのでじゃあやってみようと思ったのだ。
その頃は1日中布団の中にいたが、どうしても1日1食くらいは食べに起きて、3時間ほどはなにかしないと寝床に戻るだけの疲れが溜まらない。
こんな事情をあらためて書くのは、ぼくがブログに書いていることは亡くした母やもう親権を失った娘たち、愛しあっていたはずなのにそれもはかなくなった女性たちへの、届かない近況報告みたいなものだからだ。
ぼくが急逝でもすれば、娘たちは「病気を治しに一人暮らししているパパ」の晩年の生活を遺された日記やブログ(気づいてくれるだろうか?)からしか知ることはできない。だが、別れた妻はおそらく見せないだろう。届かない、という由縁だ。それでも書くのがぼくの自由で、ぼくの自然な感覚なのだから、届こうが届くまいが関係ない。

その前に触れておきたい話題がある。まずはそこから入っていきたい。
「女好きのフェミニスト」と「女嫌いのフェミニスト」がいるとする。これは男女では質的な相違もあるだろう。女性が女嫌いを公言する時にはたいがい同性同士(でも男には少ない)のべったりした友人関係の押しつけや、これも同性ならではの(こちらは男にも少なくない)気まぐれやワガママ、流行に流され安く個性の確立が稀薄で依存的(これも男だってそうだ)、などの面に向けられる。
ただし女性の女嫌いは自分をその内に含めないと片手落ちになる。男の男嫌いもそうでなければならないように。話がややこしくなってきた。冒頭の話題に戻る。
と思ったらまた制限文字数(笑)?