人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

AEDと燕の巣( 日記・7月2 5日)

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「ドアを開けるとアラーム音が鳴ります!」
「緊急時にご使用ください」とボックスの蓋に注意書きがある。残念ながらお世話になったことも使っているところも見たことがない。アメリカ映画ではお目にかかったような気がする。映画の中ではよく人が卒倒するから。
大きさは幼稚園児用のリュックサックほどで、お弁当でも入っていそうだ。前から写真に撮りたかったのだが、許可を求めたら禁止されるに決まっている。ここはメンタル・クリニックの待合室だからだ。
待ち時間に席からどさくさまぎれで撮った。真正面の接写が撮れなくて無念だが、仕方ない。

問診を終えて隣の薬局に処方箋出し、待ち時間の間に買い物へ。戻り道に1週間ほど前に載せた燕の巣の前に通りかかった。大きさからしてこれは親鳥だろう、1羽しかいない様子だ。ちょうど通りかかったお姉さんも足を止めたので、
「これは親鳥ですよね?先週見た時にはヒナが5、6羽いましたが」
「2、3日前に見た時はもう親だけでしたよ。巣立っちゃったんじゃないかしら」
そうか、巣立ったのか、と会釈をして別れた。体はだいぶ育っているとはいえ、ピーピー鳴いている姿はまるで幼く、あどけなく見えたが…。てっきりひと夏かけて成鳥になり、一家で帰って行くものと思っていた。それともまだ完全には巣立ってはいなくて、飛んだりエサを捕ってきたりの学習期間なのだろうか?

そんな感慨があったのは、昨晩また孤独感から娘たちのことを考えたからだった。離婚した時に長女は9歳、次女は6歳。土日祝は一家で一緒に行動していた(娘たちの友だちとの遊びも家族ぐるみだったから)。
今は長女は13歳、次女は9歳。もういつもパパとママが一緒にいてあげなければいけない年ではない。パパがいないことに娘たちはすぐに馴れたはずだ。
すでに4年がたち、これからも会うこともなく過ぎていく。この4年で次女と電話で会話したのが合計15分くらい(長女は拒否)、写真すら送ってもらえない。

燕の親子を見て自分の身と引き比べるのもつまらないことだが、ぼくは本当に娘たちの幼いころまでしか一緒にいられなかったのを実感する。まるでぼくも幼児のまま世の中に放り出された感じがする。