人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

虫垂炎入院日記(3)

イメージ 1

なんともはや、3回目まで来てほとんど話が進展していない。それには理由もあって、退院報告に寄せられた皆さんからのコメントへの返信を編集した記事でおおよそは書いてしまったからだ。
ハードボイルドのカリスマ作家にレイモンド・チャンドラーという人がいるが、この人は実業家から転身して作家デビュー40歳という遅咲きの上に作家生活30年で7作しか書かなかった。いま村上春樹が全作品の新訳を進めていることでもわかるように、ハードボイルド作家である以前に純文学の作家という評価が定着している。
なんでチャンドラーさんを持ち出したか。この人の代表作はやはり7作の長篇小説なのだが、チャンドラーの執筆方法は短篇小説を集めて長篇に仕立てるというものだった。ずいぶん安易で無計画に見えるが、実はこれは洋の東西問わず小説やエッセイのもっともプリミティブな書き方なのだ。直線的な構成なんていうのはごくごく近代になってからの発明で(ラシーヌの三一法あたりだ)統一がきびしく言われたのは学術論文の分野くらい。近代になってもいきなり作者が読者に直接演説を始める小説が(特にドイツとイギリスには)珍しくない。ラテン系の方が意外にもその辺、律儀なようだ。学問や芸術となると不純物を排するらしい。中国はなんでもありだろう。朝鮮芸術となると規律がきびしく見える。日本となるとどうか。いくつかの文化圏に分かれて発展してきたからか、これだ、という共通の特質は指摘し難いのではないか。

…とまあ、ぼく自身がその一例みたいなものだから、話はちっとも入院日記に進まない。チャンドラーを持ち出してますます話が脱線した。
だから(と強引に話を戻すと)すでにおおよそのところは書いてしまった。そのうえ入院日記を書くのは短篇の長篇化みたいなものになる。入院中に投書箱から用紙を調達し、受付のペン立てから三色ペンをクスね、点滴が外れて夜と昼が戻ってからは退院までの1週間、食事と読書のメモをつけていた。ただの備忘録だ。それでもなにか書き残したのは毎日のけじめになった。別の用紙には退院したら注文・購入したい本とCDのリストを書いて予算とにらめっこした。これまでの入院では1日に2~3ページの日記を大学ノートに書いていた。まるでそれがぼくの書き残す最後の文章のように。それに比べれば今回の入院中のメモなどアクビみたいなものだ。