人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

瀧口修造/ シュールレアリスト

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瀧口修造(1903-1979)は富山県生まれの詩人・美術批評家。慶應義塾大学在学中に西脇順三郎を中心とした文学サロンで堀辰雄らと共にモダニズム芸術の薫陶を受け、映画会社勤務のかたわら後の1967年に「瀧口修造の詩的実験1927~1937」にまとめられる作品を発表。戦後は現代美術批評界の重鎮として活動、「詩的実験」の刊行前後から晩年10年は詩作も再開した(「余白に書く」「寸秒夢」)。日本のシュールレアリズム詩人としては、まず第一に名前があがる人である。

ポール・エリュアールに(1)』
天使よ、この海岸では透明な悪魔が薔薇を抱いている。薔薇の頭髪の薔薇色は悪魔の奇蹟。 珊瑚のダイナモに寄りかかりおまえの立っているのは砂浜である。 神が貝殻に隠れたまうとき破風に悪魔の薔薇色の影がある。 それは正午である。

『絶対への接吻』
ぼくの黄金の爪の内部の瀧の飛沫に濡れた客間に襲来するひとりの純粋直観の女性。 彼女の指の上に光った金剛石が狩猟者に踏み込まれていたか否かをぼくは問わない。彼女の水平であり同時に垂直である乳房は飽和した秤器のような衣服に包まれている。(……)彼女の気絶は永遠の卵形をなしている。 水陸混同の美しい遊戯は間もなく終焉に近づくだろう。 乾燥した星が朝食の皿で轟々と音を立てているだろう。 海の要素等がやがて本棚のなかへ忍び込んでしまうだろう。 やがて三直線からなる海が、ぼくの掌のなかで疾駆するだろう。(……)

詩集も後半になると、戦争の影を帯びてくる。絶唱『妖精の距離』を引く。

うつくしい歯は樹がくれに歌った
形のいい耳は雲間にあった
玉虫色の爪は水にまじった
脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に牛われた
麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコップもない
欲望の楽器のように
ひとすじの奇妙な線で貫かれていた
それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲まるだろう
それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた