**さんコメントありがとうございます。ぼくも金子光晴から3篇といったら「おっとせい」「洗面器」「寂しさの歌」になります。まったく**さんのセレクトに同感です。
ぼくはライター時代の一時期、新潮社近くの神楽坂の崖っぷちの(金子光晴が新婚時代から数年住んだという)赤木神社そばに仕事場があったので、夕暮れともなると着流しのふところに長男を抱っこした金子光晴が坂道をぶらぶらしているような気がしました。
よく東京の観光地では「江戸のおもかげを残す」というけれど、ぼくの通った大学があった三番町や、四ッ谷、曙橋、早稲田界隈以上に神楽坂の夜は江戸からの連続性を感じさせ、金子光晴への親しみがますます募りました。
赤木神社は幼稚園も兼ねています。寺子屋のなごりでしょう。そんなことも趣を感じました。
『おっとせい』は痛烈ですが、『寂しさの歌』は同時期の『しゃぼん玉の唄』の姉妹作としてこれも名作と思いました。省略引用します。『しゃぼん玉の唄』
1
しゃぼん玉は
どこいった。
かるがるとはかない
ふれもあえずにこわれる
にぎやかなあの夢は
どこへいった。
甘やかな踊や唄の
つれてゆかれたさきは
どこなのだ。
薔薇色の
しゃぼん玉よ。
ばらの肌のばらの汗よ。
ひらくよりもはやく
別辞をつげて
そらへあがっていったもの。
ときのまの愛着よ。
旅立つ虹よ。
大きな玉よ。小さな玉よ。
(……)
2
(……)
かえり来ぬ日日の
かちどきよ。
小さく、小さくあがってゆく
道化一座(パントミーム)よ。
女学生たちの合唱歌(コーラス)よ。
とび去った頬の艶。
蒸発した詩よ。
西暦一九四〇年頃から
僕の見失ってしまったそれら。
銃火で四散し
政治から
逃げのびたもの共よ。
おまえたちはいま
どこをとんでいる。
おまえたちは
どこの空を漂う。
しゃぼん玉よ。
しゃぼん玉よ。
忘れっぽい舟乗りどもはおまえたちを
アフリカ沖でみたという。
ほらふきの探検家は、みてきたように
北洋の氷のうえでおっとせいが
吻から吻へ、おまえたちを受取って
あそんでいたと、真顔でかたる。(昭和二〇・二・八)
(詩集「蛾」1948年)