人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詩人・三富朽葉

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三富朽葉(1889-1917)は長野県生まれ、東京育ち。早稲田大学在学中フランス象徴派の訳詩を発表、同人誌「自然と印象」の中心となった。
朽葉の詩史的位置は蒲原有明・伊良子精白らの文語自由詩、北原白秋の口語定型詩から「口語自由詩」を初めて明確に打ち出し、朔太郎らの時代を準備したことにある。

『水のほとりに』

水の辺りに零れる
響ない真昼の樹魂。

物のおもいの降り注ぐ
はてしなさ。

充ちて消えゆく
もだしの応え。

水のほとりに生もなく死もなく、
声ない歌、
書かれぬ詩、
いずれ美しからぬ自らがあろう?

たまたま過ぎる人の姿、歌のかげ、
それは皆遠くへ行くのだ。

色、
香、
光り、
永遠に続く中。

文語体や定型詩からは抜け出したが、まだ単語の羅列になりがちで口語自由詩ならではの文体を創りだせていない。次の作品あたりでは、過渡期ながら朽葉は一応の成功をおさめている。

メランコリア

外から砂鉄の臭いを持ってくる海際の午後。
象の戯れるような濤の呻吟は
畳の上に横たえる身体を
分解しようと揉んでまわる。

私は或日珍しくもない元素になって
重いメランコリイの底へ沈んでしまうであろう。

えたいの知れぬ此のひと時の衰えよ、
身動きもできない痺れが
筋肉のあたりを延びてゆく…
限りない物思いのあるような、空しさ。

爍ける光線に続がれて
目まぐるしい蝿のひと群が旋る。
私は或日、砂地の影へ身を潜めて
水月のように音もなく溶け入るだろう。

太陽は紅いあかいイリュージョンを夢みている、
私は不思議な役割をつとめているのではないか。

無花果樹の陰の籐椅子や、
まいまいつむりの脆い殻のあたりへ
私は蝿の群となって舞いに行く。

壁の廻りの紛れ易い模様にも
ちょっと臀を突きだして止ってみた。

窓の下に死にゆくような尨犬よ。
私はいつしかその上で渦巻き始める、
……
……
砂鉄の臭いの懶いひとすじ。
(「三富朽葉詩集」没後出版より)

朽葉は遊廓から水揚げした夫人との結婚に失敗、失意の内に離婚後の3年間を過ごし、執筆活動を再開した矢先に海水浴中溺れた友人を助けようとして自分も溺死した。享年28歳。