人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

夏目漱石「行人」

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(i)
今回は夏目漱石の長篇小説の中でも最も難解で退屈な失敗作のひとつ(ひとつ、というのは、初期の数作を除いて漱石作品は賛否両論かまびすしいからだ)、と見なされることの多い「行人」1912-1913(大正元年-二年)を参看してみたい。次々作「こころ」と共にその難解さは病的な印象すらある。大学教授・一郎、一郎の妻、未婚の弟・二郎の三人を主要登場人物として展開するこの小説は、精神症状のある典型を期さずして描き出していると思われる。核心部を引用する。

(ii)
前半で描かれるのは一郎がもたらす重苦しい家庭の空気で、それは弟によって以下のように説明される。

「兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、知的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥っています。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩みを進めて行きます。その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。しかしこれが兄さんの我が儘から来ると思うと間違いです。兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中より遥かに進んだものでなければなりません。従って兄さんは美的にも知的にも、ないし倫理的にも、自分ほど進んでいない世の中を忌むのです」

(iii)
次第に一郎は弟に妻を誘惑する依頼等の妄想や奇行を見せ、家族は彼を休職させて一郎の旧友の東洋哲学者と湯治に行かせる。手紙が送られてくる。

「兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると言います。起きると、ただ起きていられないから歩くと言います。歩くとただ歩いていられないから走ると言います。すでに走り出した以上、どこまで行っても止まれないと言います。止まれないばかりなら良いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと言います。その極端を想像すると恐ろしいと言います」

(iiii)
この小説は最初の三章が大正元年12月-大正二年4月に「朝日新聞」に連載され、漱石の入院(大正二年3月-5月、胃潰瘍)による中断を経て大正二年9月-11月の最終章「塵労」で完結した。明らかに前半三章と最終章に断絶が見られる。前半には弟と妻の姦通、主人公の発狂または自殺の暗示がある。だが漱石は描かなかった。なぜか?