人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

初稿再録・夜ごと太る女のために

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タイトルは70年代イギリスの渋いロック・バンド、キャラヴァンのアルバム'For Girls Who Grow Pump In The Night'(1973)より。アルバム・ジャケットは笑みを浮かべて熟睡する女性の寝姿でしっとりと上品、音楽も緊張感とくつろぎの配分がほどよく曲もアレンジも良くできていて、もう20年以上聞いているが申し分なく飽きのこないものだ。しかしこのアルバム、音楽は良くてもタイトルに嫌な顔をしない女性(恋人だったり妻だったりだが)はいなかった。
「いいわね。なんていうの?」
「夜ごと太る女のために」「なによそれ?」といった反応なのだが、小学生の長女は違った。真顔で、
「パパ、それママには言わない方がいいよ」
もちろん言った。妻は実に憮然とした顔をしていた。つい先日、一緒のお風呂上がりに長女は妻が体を拭く姿を嘆かわしげに見て、
「私、大人になってもママみたいにおっばいデブになるのイヤだな」
「なによ」とムッとして妻、「あんたたちにおっばいあげて育てたからこうなったのよ」
興味深げに姉と母の応酬を観察する次女。巻き込まれないように気配を消しながら今後の参考のために様子をうかがっている。

妻の言葉には根拠があった。妻は妊娠前には胸板に乳首がついているだけ、何カップというどころではない。それが妊娠中に次第にふくよかになり、出産から3か月にはCカップになった。保育園に預けたので母乳の期間は短かったがバストは残った。3年後の次女出産でEカップ。長女には「おっばいがデブになった」と見えたわけだ。

小学生も2年ともなると容姿というものに目覚めてくるようで、長女自身は地味で着心地のいいカジュアルな服装を好んだが、同級生の誰々がお洒落だとか、誰々のお姉ちゃんが美人だとか、ああついにこの子も「美人」とか口にするようになってしまったのか、ここから容姿で駄目なら性格をほめるまですぐ一歩なんだよな、とあやうくJ.D.サリンジャーまがいになってしまうところだった。

サリンジャーは長女を溺愛していたが、それも幼児~児童期までだった。初潮を過ぎて思春期に入ると父親は娘を汚い存在として忌み嫌った。父が高名な作家なだけに娘の自己否定の念は深く、父との確執も自分自身の嫌悪も克服して精神的に自立するまで中年期までを要した。

…以下続稿(7月20日初稿)