人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

菅原克己『ブラザー軒』

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 菅原克己(宮城県生まれ、1911-1988)は戦後に遅咲きの詩人デビューを果たし、第一詩集「手」の刊行はようやく40歳になってからだった。生年からも想像できるように、青年時代をまるまる戦時下で送ったことになる。代表作『ブラザー軒』は発表後たちまち現代詩の新しい古典と認められたが、時代背景を知らないと感銘のポイントが曖昧かもしれない。では、実は季節外れの内容になるがご紹介する。

『ブラザー軒』 菅原 克己

東一番丁、
ブラザー軒。
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、
ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら
細い脛だして
椅子にずり上る。
外は濃藍色のたなばたの夜。
肥ったおやじは
小さい妹をながめ、
満足気に氷を噛み、
ひげを拭く。
妹は匙ですくう
白い氷のかけら。
ぼくも噛む
白い氷のかけら。
ふたりには声がない。
ふたりにはぼくが見えない。
おやじはひげを拭く。
妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、
風鈴の音、
あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、
つれだって帰る、
ぼくの前を。
小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
東一番丁、
ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の向うの闇に。
 (詩集「日の底」1958より)

おそらく戦時中に死んだ父と妹。死んだ年齢のままで語り手のまぼろしのなかに現れ、「おやじはひげを拭き」、妹は「おできいっぱいつけ」て「氷水をこぼす」。死んだことにも気づかず現世とおなじ空気を吸い、現れては消える。詩人はそこに日本の庶民の死生観の本質を見て、歯がゆい哀しみを感じている。
 菅原は戦前からの筋金入りのコミュニストで、日本共産党の団体「新日本文学会」でも中心人物として信望が篤かったが、詩はコミュニズム詩の陥りやすい教条性や宣伝性を微塵も感じさせないものだ。共産党とは党の方針との対立があり、除名という名誉を受けている。詩誌「詩学」の編集長を晩年まで務めるなど、長老の風格を持った詩人だった。古書店で「日の底」を入手したのは氏の生前だった。サインをもらう手段だってあったと思うと無念な気がする。