人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

中庭のトラフィック・コーン

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なぜか数日前からマンションの中庭にこいつが転がっている。写真に撮るといかにも間抜けで、およそ威厳というものがまるで感じられない。なぜだろう?本来これはこんなふうに、交通などなにもないところに横転しているべき物体ではないからだろうか?

ところで、これ(トラフィック・コーンというそうだ) を見たことがない人は少ないだろうが、「トラフィック・コーン」と口にしたことのある人は少ないと思われる。そういう言葉が世の中にはたくさんある。日常会話のなかで「除名」とか「馬楝(ばれん・木版刷りに用いる)」など普通使いますか?それほどトラフィック・コーンというのは「ただあるだけ」の存在だ。誰も話題にしたりなどしない。もっとも始終馬楝だのコーンだのを考えているような世の中になったら困るが。

ともあれこれは単体では話にならないが、でもまあ素材はあっという間に決まった。

写真(中)をご覧ください。旧西ドイツのバンド、クラフトワーク(Kraftwerk発電所の意)です。裕福な家庭の大学生ふたり、ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが始めたグループで、間接が脱臼したような音楽をやっていた。1970年にデビュー作「クラフトワーク1」発表。10分の曲が4曲。これが意外にも反響を呼び、ライヴやテレビ出演もラルフ抜き(いやがったらしい)でクラウス・ディンガーとミヒャエル・ローターのサポートを得て果たす。赤いコーンは71年6月のライヴ。海賊盤です(笑)。
ヒュッターが戻りサポートが抜け、緑のコーンの「クラフトワーク2」を1971年に発表。1曲目の'Klingklang'は17分音響変化されたパーカッションが鳴ってるだけ、というサウンドでリスナーの度肝を抜く。クラフトワークの本領はここから始まる。

写真(下)は抜けたサポートのふたりが結成したノイ!(Neu!=新しい)の1972-1975年の3枚のアルバムの全集版(海賊盤。ノイ!の3枚のジャケットは同じ手書きロゴの色違いだけだ)と、クラフトワークが「アウトバーン」1974や「ヨーロッパ急行」1977を経て到達したテクノ・ポップの完成形「人間解体」'Die Mensch Machine'1978。「ロボット」「モデル」の2大ヒットは誰もが知らないうちに耳にしているはずだ。そう、どこにでもあるトラフィック・コーンのように。