人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

石垣りん『家』

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 石垣りん(1920-2004・東京生まれ)には前回ご紹介した『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』とは打って変って辛辣極まりない作品もある。ご紹介する詩『家』は関東大震災で生母を失い、小学校卒業で銀行に勤め、父の再三の再婚と異母弟妹や祖父母の介護に戦時下の青春期を過ごした背景から生まれた作品。石垣自身は生涯独身であったことも改めて確認しておきたい。

『家』 石垣 りん

夕刻
私は国電五反田駅で電車を降りる。
おや、私はどうしてここで降りるのだろう
降りながら、そう思う
毎日するように池上線に乗り換え
荏原中延で降り
通いなれた道を歩いてかえる。

見慣れた露地
見慣れた家の台所
裏を廻って、見慣れたちいさい玄関
ここ、
ここはどこなの?
私の家よ
家って、なあに?
この疑問、
家って何?

半身不随の父が
四度目の妻に甘えてくらす
このやりきれない家
職のない弟と知能のおくれた義弟が私と共に住む家。

柱が折れそうになるほど
私の背中に重い家
はずみを失った乳房が壁土のように落ちそうな

そんな家にささえられて
六十をすぎた父と義母は
むつまじく暮している、
わがままをいいながら
文句をいい合いながら
私の渡す乏しい金額のなかから
自分たちの生涯の安定について計りあっている。

この家
私をいらだたせ
私の顔をそむけさせる
この、愛というもののいやらしさ、
鼻をつまみながら、
古い日本の家々にある
悪臭ふんぷんとした便所に行くのがいやになる
それで困る。

 《きんかくし》

 家にひとつのちいさなきんかくし
 その下に匂うものよ
 父と義母があんまり仲が良いので
 鼻をつまみたくなるのだ
 きたなさが身に沁みるのだ
 弟ふたりを加えて一家五人
 そこにひとつのきんかくし
 私はこのごろ
 その上にこごむことを恥じるのだ
 いやだ、いやだ、この家はいやだ。
 (詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」より)

 『私の前にある~』が理想主義の名作なら、同じ詩集にこれだけ身も蓋もないリアリズムの傑作もあるのが恐ろしい。本文だけでは鬱憤が晴れず、《きんかくし》という凄惨な反歌まであるのだ。