人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

金子光晴(1895-1975)「おっとせい」1937

  おっとせい  金子 光晴           


そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること。
虚無をおぼえるほどいやらしい、 おお、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。

いん氣な弾力。
かなしいゴム。

そのこころのおもひあがっていること。
凡庸なこと。

菊面。
おほきな陰嚢。

鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、
おいらは、反對の方角をおもってゐた。

やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画でみる
アラスカのやうに淋しかった。




そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを國外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢と、饒舌で
かきまはしているのもやつらなのだ。

くさめをするやつ。髭のあひだから齒くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦だ。権妻だ。やつらの根性まで相続ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

おしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺いだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網があった。

…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたたくのをきいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、 そのいやしさ、空虚さばっかりで雑閙しながらやつらは、みるまに放尿の泡で、海水をにごしていった。

たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとうて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、 かぼそい聲でよびかはした。




おお。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも氣づかずにゐた。

みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは表情を匍ひまわり、
……………文學などを語りあった。
うらがなしい暮色よ。
凍傷にただれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝禮してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、 反對をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」


(昭和12年4月「文學案内」に発表、詩集『鮫』昭和12年=1937年8月・人民社初版200部刊に収録)