人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

復刻・千田光全詩集(7)

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千田光が残したもので、作品として発表されたのは次の一篇が最後になる。献呈の菱山修三(1909-1967・東京生れ)は詩集「懸崖」1931、「荒地」1937で知られる散文詩人で、千田との親近性は強い。

『善戦~菱山修三君に』

敵だ。敵がいる。私にそう遠くない所だ。敵の正体には根がない。ただもやもや浮動し屯しているばかり、一度たりと私に攻勢を執ったことなどないのだ。が然し、少くとも私に眼を着けているということは否めない事実なのだ。いわんや敵は不思議な自信の中に私を獲えて放さないかのような威嚇を示しているのだ。そこで私は密に物物しい武装に取掛かったが、武装意識が私よりも敵の大きさを強からしめた。それが私を過らした最初だった。果せる哉敵は堂堂と意識の上に攻め込んで来た。次いで早くも敵の触手は私の面上を掠めた。
追撃-追撃は極った。私の茫然たる眼前には暗い泥海が盛りあがっていた、と思った時は既に遅く私の胴体はその泥海の上を風のまにまに流れ、私の背後にうねった夜明けの方へ少しずつ動きはじめた。それから夢のような苦しみが肉体を刺しだした。私の全身は泥の中へめり込んでゆく。私の周囲の泥の上には草が生えぐんぐん伸びる。火のような太陽がカッカッと昇る。全身の下降が止まった。すると泥海はみりみり音をたてながら太陽の下で固って行くのだ。その時だ、かの怖るべき敵は、大敵は私の無視の下に消失して了ったのだ。続いてその時、一大亀裂が私を再び地上へ投げあげたのだ。
(「時間」1931年4月)

千田の文学論では、唯一次の一篇が残されている。ごく正統な文学論だが、自身はプロレタリア文学に属する詩人ではなかった千田だからこそ興味ぶかい。

●コラム「時間の歩調」

これまでのプロレタリア詩に求められた総てのものは、なんであったろうか、それは単なる反抗の絶叫演説にしか過ぎなかった。
それは「歌う」抒情詩人の持っている観念といささかも異らないものだ。だからわれわれを感動せしむる深い圧力がなく、その反抗の響きもわれわれとの距離の間にあって殆ど自然消滅の型に堕ちて了うのだ、芸術としての条件を備えていないからだ。けれども最近のプロレタリア詩の活動は旧プロレタリア詩の殻を破って開始されはじめている。ほんとのプロレタリア詩の出現は僕達の欣望するところだ。
(「時間」1931年)