人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

もうすぐ卒園式

イメージ 1

私の娘たちが保育園児だったのはもう5年も前になりますが、送迎は私の役目でしたので、迎えに行くとワーッと子どもたちが殺到してくるので楽しい毎日でした。私もまた、子どもにしか見えないものをいい大人になっても見える性でした。ズボンの片膝はいつも子どもの背丈に膝をつくので、半年ごとに穴が開きました。

私の通った大学の文学部長の最終講義は文学の授業というより老文学・政治青年のよもやま話でしたが(終戦後の日本共産党成長期に「君も共産党に入りませんか?」と三島由紀夫を誘ったという逸話もあります)、「人生でやっておいた方がいいことはふたつあります。ひとつは子どもを持つこと。子どもを育てるのは人生が2倍にも3倍にもなることです」
学生たちはフーンという感じ。「とにかく子どもは持つべきだ」と文学部長、「それから自動車免許は取りましょう。私はないが、息子たちには歳になったらすぐに取らせました」
「あ、もう時間か」とかつては共産党の文学部門の指導的批評家、今は袂を分かって影響力を失った老教授は、おそらくあらかじめ用意してあった締めくくりに入りました。
「世界の情勢は私の青年時代には予想もつかない姿に変りました。しかし私は、人間の顔をした社会主義の実現を見るまで死なないつもりです。中国には少し期待ができるが」
礼儀正しい拍手。ベルリンの壁崩壊も、ソヴィエト改めロシアの民主化もまだ先のこと、時代は昭和末でした。

子どもの成長過程は面白いもので、うちの長女も5、6歳の頃はなにか特別に言いたいことがあると紙に書いて持ってきたり冷蔵庫に貼ったりしてましたね。例えば私が録画に失敗して妻にこぼしていると、「パパげんきだしてね、くよくよしてるとまたきんちょーしてしっぱいしちゃうよ、だからげんきだしてね」と冷蔵庫に貼って私を引っ張っていく、という感じ(実例)。次女はストレートにギャーとかワーでした。長女は私に、次女は妻に近かったですね。姉妹の仲は良かった。どちらも成長が楽しみでした。

まるで具体的に保育園の思い出に入らず、また構成をしくじったようです。長女の入卒園が99年4月~05年3月、次女が02年4月~08年3月、離婚が07年5月ですから、私は次女の最後の10か月には関わっていませんが、姉妹合わせてまるまる9年間保育園にお世話になりました。本当にお世話になりました。