人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

復刻・千田光全詩集(8・完)

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前回の『善戦~菱山修三君へ』が詩作品と名銘たれた最後の千田光作品だが、もう一篇「麺麭(パン)」誌のコラム欄「雑感」に無題の作品がある。コラムではなく明らかに散文詩だろう。おそらく、同誌のプロレタリア文学誌としての性格上このような扱いになったと思われる。
また、もう一篇『誘い~古谷豊さんに』として先に引いた散文詩『誘い』を行分け詩にしたものがある(「詩神」1931年1月)。改作として貴重なものだが(『夜』改作の『発作』は載せたが)重複紹介は冗漫と思われる。行分けの『誘い』は割愛し、無題のコラム「雑感」を作品としてご紹介する。発表年月の上でも、これが千田の絶筆になる。

●無題(『死岩(デッドロック)』)

私の前には、死岩(デッドロック)が顔を霧の中に埋めて立っている。私は知っている。しかし、私が彼に手をあてるまで、私は実に雄然と対立していた。死岩をとりまく霧は、渦巻いて私の手を払う。私がぴたり死岩に手をあてると、サッと彼はその毅然たる姿を現した。私は彼の動かぬ姿の中から、動かぬ速力の激流を感じた。それが真向から墜落して来た。はずみをくって私はよろよろした。高さ!高さの下で痛めたのは羽根ばかりではない。私は浮かぶことも沈むこともできなくなった。高さは私の腕の長さではない。黙然と佇立していると、霧は起って私は遠くへ流されてしまった。圏外。そこでは私に軽蔑と安堵が向こうていた。然し死岩の前から姿を消したとて、私には眼が見える。蟻のように登って行く人々の足音がきこえる。足音をきいているうちに、私の身はいつのまにか、死岩に向って歩いている。私にかくまで喰いこんでいる死岩の影から、何故逃げなければならないのか、足を固めなおすと、私は死岩に向って颯爽と小手を翳した。あそこだ。
(「麺麭」1932年11月)

1931年5月、千田の寄る同人誌「時間」は終刊。翌年結婚、男児が生れるが妻は伝染病で隔離。1933年2月「麺麭」に詩集の予告が出るが、作品発表も同人仲間との交遊もなくなる。34年9月頃より肺結核にて自宅療養、35年5月死去。享年27歳。没後に師の北川冬彦主宰の同人誌「培養土」の選集「培養土詩集」に作品が収録される。戦後は創元文庫「日本詩人全集・6」1952、「現代詩手帖」1971.1、森開社「千田光詩集」1981がある。