『憂悶』
シャアル・ボオドレエル
永井荷風訳
大空重く垂下がりて物蔽ふ蓋の如く、
久しくもいはれなき憂悶(もだえ)に嘆くわが胸を押へ、
夜より悲しく暗き日の光、
四方閉す空より落つれば、
この世はさながらに土の牢屋か。
蟲喰みの床板に頭打ち叩き、
鈍き翼に壁を撫で、
蝙蝠の如く「希望(のぞみ)」は飛去る。
限りなく引つづく雨の絲、
広き獄屋(ひとや)の格子に異ならず、
沈黙のいまはしき蜘蛛の一群(ひとむれ)
来りてわが脳髄に網をかく。
かかる時なり。寺々の鐘突如としておびえ立ち、
住家なく彷徨(さまよ)ひ歩く亡魂の、
片意地に嘆き叫ぶごと、
大空に向かいて傷ましき声を上ぐれば、
送る太鼓も楽もなき柩の車
吾が心の中をねり行きて、
欺かれし「希望(のぞみ)」は泣き暴悪の「苦悩(くるしみ)」
黒き旗を立つ、垂頭(うなだ)れしわが首(こうべ)の上に。
(訳詩集「珊瑚集」1913より)
原詩は詩集「悪の華」1957に書き下ろし発表。「珊瑚集」では巻頭の『死のよろこび』につづく。荷風とボードレールの相性はすこぶる良く、「悪の華」全訳がなされなかったのが惜しまれる。
さて、この詩はポーの信奉者ボードレールの作詩法をよく表している。4行×5連の全20行が計算し尽くされて過不足ない。弟子の象徴派詩人たちはそれをはみ出る個性だけが一家をなした。本人の作品も傑作は計算を越えている。この作品は狙い通りに仕上がり中級の出来になった(とは言えフランス詩画期的詩集の中の一篇の中級ではある)。
構成は起承転結をきちんと踏まえている。
起・第一連~第二連。曇天に憂鬱になり、地上は空に覆れた牢屋だと思い、なんの希望もない気分になる。床に頭を打ちつけ、壁をかきむしる、というおおげさな苦悩の映像化は萩原朔太郎の源泉だろう。
承・第三連。だめ押し。髪に蜘蛛の巣まで張る。雨糸を牢獄の格子というのは被害妄想的比喩。獄屋と書いて「ひとや」(一室という意味か)と読ませるのは荷風の独創か?
転・第四連。ついに耐えきれず、語り手と世界(牢屋)が一体化し、鐘がごんごん鳴る。
結・生きる屍の頭に黒い旗が立つ。
この明解さがこの詩の短所だ。詩の難しいところといえる。