ヒューゴー・フォン・ホーフマンスタール(1874-1929・ウィーン生れ)は10代で名声を確立し、19世紀末~20世紀にまたがり生涯ドイツ語圈文学の最先端に身を置いた。この詩篇は全詩集中ほとんど最後のもの。青年の性的初体験(の後の陰鬱な精神状態)は詩の題材として珍しい。
『夜のひきあけ』
今 鈍色の空のへりに
嵐はくずおれ おののいている
この時病人は「朝だ! 眠ろう!」と
熱い瞼をひしと閉ざす この時若い牡牛は
小舎の中から たくましい鼻面を
冷たい昧爽の気にのぞかせ 音一つせぬ森の中で
浮浪者は 去年の枯葉のやわらかい寝床から
むくりといぎたない身をおこし
恐れげもなく 手近な石をつかむと
まだ睡気もさめやらず うっとりと翔ぶ鳩に投げ
その石が 鈍く重く地に落ちる時
われにもあらず寒気立つ この時河は
ひそかに立ち去った夜を追って
闇になだれこもうとでもするかのように
あらけないよそよそしさで 息吹きも冷えびえと走り行き
この時橋の上では 救い主とその御母が
いとも声音かすかに 語り合う
その声のかそけさよ しかもこのささやかな語らいの
大空の星にもまがう 永劫不壊のおもむきよ
救い主は十字架を負い 「母よ!」とばかり口にして
御母に目をそそぎ 「ああ 息子よ!」
とばかり御母は言葉をもらす-この時空は大地と
重苦しい沈黙の対話をかわし この時大地の
年老いた重い体に おののきは走り
新たな日を生きるための 身仕度がはじまる
今 幽鬼にも似た暁の光はただよい この時
靴もはかずに 女の臥床から忍び出るものは
影のように走り 盗人のように窓をよじ
おのれの部屋にたどりつくと 壁の鏡に
顔をうつして 唐突な恐怖に襲われる
何者か この見も知らぬ 不眠にやつれ蒼ざめた男は
この男こそ 今宵 われとわが身にほかならぬ
よき少年を殺害し あまつさえ
死者をはずかしめるとでもいうように 彼の小壺に
汚れた手を洗いにきたのではなかったか
大空のかくも重い息苦しさも
空中にみちみちた かくもただならぬ気配も そのためだったか
いま牛小舎の戸が開く ようやく今 夜は明けはなたれる
(1907年作・川村二郎訳)