人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャーマン・ロック(1) 魁!蠍団

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フレンチ・ロックのお次は70年代ジャーマン・ロックをご紹介する。ヨーロッパのロックは仏独伊が三大国という定評があり、オランダやデンマークもいいバンドを出しているが、マーケットが小さいために国内活動だけでは維持できず、女性ヴォーカル+英語詞というポップス寄りのバンドが多い。

だが仏独伊の三大国には英米ロックもものかわというシーンが存在した。フランスの70年代ロックについてはご紹介した通りだ。本当はフランスのロックなとゲテモノなのである。だが早くから熱狂的なファンがつき一般市民にまで浸透したのはナショナリズムの強い国民性のなせるわざで、あながち悪いことではあるまい。イタリアにはまた別の事情がある。当面の話題は西ドイツの70年代ロックで、やはり売れた順から取り上げるのがスジだろう。

それでスコーピオンズクラフトワーク、カン、タンジェリン・ドリーム英米での(日本でも)ヒットからも筆頭に上がる。80年代以降の活躍からしてもスコーピオンズ(Scorpions,1972-)だろう。いやはや、まさかこのブログでハードロック/ヘヴィメタル系のバンドをご紹介する嬉しい機会が来ようとは。

とにかく70年代後半、スコーピオンズジューダス・プリーストと並んでハードロック界希望の星だった。ディープ・パープルは解散し、ブラック・サバスは迷走し、レッド・ツェッペリンは減速し、日本のハードロック・ファンは硬派の新人を待望していたのだ(アメリカン・ハードロックは軟派とされた)。

実際にはスコーピオンズはデビュー作が72年に日本発売されていた(「ロンサム・クロウ」画像1)。だが話題になったのは75年の再デビュー以降で、これは本国でも変わらない。60年代からクラウス・マイネ(ヴォーカル)とルドルフ・シェンカー(ギター)を中心に活動してきたスコーピオンズは、デビュー作ではブルース、サイケ、プログレ、ハードロックのごった煮バンドだった。

この教訓を生かしハードロック路線に絞ったバンドは、リード・ギターがマイケル・シェンカーをウルリッヒ・ロートに交替し国際レベルの実力派となる。
ロート時代は全部いいが必殺の一枚なら「狂熱の蠍団~ヴァージン・キラー」1977(画像2)か70年代の総括ライヴ「蠍団爆発!~東京テープス」1978(画像3)だろう。かっこいいです。