もっともドイツらしいバンドにクラフトワーク(Kraftwerk,1970-)を挙げるのに異論はあるまいと思われる。だがその実体はバンドかどうかもあやしい。もともとお金持ちの子息であるラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが電子音楽の実験として始めたもので、初期のライヴでは後で「ノイ!」として独立するクラウス・ディンガー(ドラムス)、ミヒャエル・ローター(ギター)をバックにシュナイダーの電気変調フルートという変則的な編成で演奏していた。
そこからノイ!組の志向を取り入れロックバンド色を強めていくこともできただろう。だがラルフ&フローリアンは独自の道に進んだ。サンプリングによる音響作品は戦後現代音楽にシュトックハウゼンという先例がある。クラシックとしてはドイツはバッハの国、最小限の音楽要素からなる対位法音楽が原点にある。
デビュー作「クラフトワーク」1970、第二作「2」1971、第三作「ラルフ&フローリアン」1973までは習作だったが、定速ビートに電気変調させた上物楽器、ヴォーカルで彩っていく手法は「アウトバーン」1974(画像1)で確立される。しかも斬新なダンス・ミュージックとして欧米でも大ヒットし、一躍クラフトワークは時のバンドとなった。次作「放射能」1975は特にフランスで特大ヒットとなっている。実験路線はここまでで区切りがついた。
ライヴ要員に電気パーカッション2名を加えて、「ヨーロッパ特急」1977(画像2)でクラフトワークはいよいよテクノ・ポップのイメージを固めにかかる。だれも聴いたことのないような変な電子音楽によるダンス・ミュージックの確立。ジャケット写真もロックバンドとは思えないものになっている。
そして次作「人間解体」1978(画像3)でクラフトワークはテクノ・ポップを揺るぎないジャンルとして認知させる。戦前の工業主義アートを連想させるジャケット・デザイン、テクノ・カットと制服で固めたメンバー写真。ディーヴォやYMOに影響を与えたコンセプトはサウンド面もヴィジュアルもここに完成された。
完成したので、以後のクラフトワークはオリジナル作品2作、再録盤1作しか発表していない。それでも人気は高く、現役感は衰えていない。ヒップホップのサンプリング元としてはジェームズ・ブラウンと並ぶとすら言われるのだ。