70年代にキーボード・ロックを世界的な流行にした第一人者はエマーソン・レイク&パーマーのキース・エマーソンで、イギリスでもすぐにリック・ウェイクマンを筆頭にフォロワーが続出した。エマーソン自身は60年代に率いたザ・ナイスからキーボード・ロックのスタイルを模索しており、有名無名の先駆者からの影響を認めている。
すでにこのシリーズでも第11回・12回に渡りレ・オルメを始めとするキーボード・ロックを取り上げたが、やや癖の強いバンドに偏ったのは否めない。ちょうど同数、端正な音楽性のスタジオ・ミュージシャン系キーボード・ロックがあるのに思い立った。日本で言えば難波弘之さんといったところだろう。本業は他人のサイドマンで演奏力やセンスには定評があるのだが、ソロ・アルバムを作る機会があると趣味性を発揮した音楽を嬉々として制作する。今回の3組はそれ。
レアーレ・アカデミア・ディ・ムジカ(「音楽学校」)は同題のアルバム(1972、画像1)とギタリスト、アドリアーノ・モンテドゥーロとの共演作(1974)を残したバンド。EL&P系にありがちな攻撃性はなく、ピアノとオルガンの素朴さを生かした、歌を大事にした音楽になっている。こういうところが英米ロックとは異なる抒情性で人気の秘訣。
今回偶然ヴィクター系アーティストばかりで輸出用帯がついている。イタリアでは「ロック・プログレッシヴ」とは単なる時代区分として使われていると思った方が良さそうだ。
フェスタ・モビーレ「旅行日誌」1973(画像2)は唯一作のアルバムだがピアノを中心にした軽快な作風は評価が高い。バンド名をイル・バリチェントロと変え76、78年にもアルバム発表。こちらも安心して聴ける出来となっている。
パオロ・ルスティチェリ&カルロ・ボルディーニ「オペラ・プリマ」1973(画像3)はベテラン・ドラマー(ボルディーニ)と新人キーボード・プレイヤー(ルスティチェリ、なんと17歳!)の共作で、ドラムス以外すべてのパートをルスティチェリが担当している。曲もいい。ただしヴォーカルが聴くに耐えない(笑)。イタリアのバンドはヴォーカリストの水準高いか、インスト勝負なのだが、せめてインストに徹すれば(一曲目のインスト曲なんかかっこいいのだ)名作になっただろう。ルスティチェリは現在アンディ・サマーズ(元ポリス)と組んでいる。