かつて一世を風靡した男(1979-1980の2年間限定。1958年生れだから、21歳と22歳が生涯のピークだったことになる)。この間に発表したアルバム3作-「幻想アンドロイド(レプリカズ)」1979(画像1)、「ザ・プレジャー・プリンシプル」1979(画像2)、「テレコン」1980(画像3)と、アルバム未収録曲18曲を含む7枚のシングル、マキシ・シングルがこのミュージシャンの真骨頂を伝える作品のすべてだ。今やゲイリー・ニューマンについて語られることもほとんどなくなった。
あとは、せいぜい81年。ライヴ活動休止を宣言、休止記念コンサートからグレイテスト・ヒット的なライヴ・アルバム「リヴィング・オーナメンツ」1981をリリース。「プレジャー・プリンシプル(快楽の本質)」は疑問形なんだ、と発言しているように、「リヴィング・オーナメンツ」も生前葬と意訳できるだろう。サウンド傾向としては「幻想アンドロイド」にすべてがあるが、これと次作は冷淡で硬質ながら華やかな音、「テレコン」とライヴ盤は温和で輪郭の甘い平坦な音になる。
「テレコン」に先立つシングル『ウィー・アー・グラス』とアルバムのテコ入れシングル『アイ・ダイ・ユー・ダイ』(ともにアルバム未収録。CDは追加収録)でも明らかだが、「プリンシプル」から「テレコン」の間に早くも凡庸化と自己模倣が始まる。ニューマンと同年生れのミュージシャンにケイト・ブッシュ、デイヴィッド・シルヴィアン(ジャパン)がいるが、ポスト・パンク=プレ・エレ・ポップ、もっと大きく言えば「ロックの終り」を出発点としたことでニューマンとシルヴィアンは同じ立ち位置にいた。バンド名義(チューブウェイ・アーミー)の第一作(1978)、84年に発掘された未発表アルバム「ザ・プラン1978」はジャパンの初期2作に当たる。ジャパンとケイト・ブッシュの評価はご存知の通り。
アーミー名義最終作「幻想アンドロイド」は前作のパンクの名残りは消え、冷徹なテクノ・ポップ・サウンドに乗せて荒廃した近未来-戒厳令や殺人ゲーム、不況や孤立などが歌われ、レッド・ツェッペリンの新作を追い落とし全英No.1アルバムになる。次作「プリンシプル」からはゲイリー・ニューマン単独名義で、これもNo.1アルバムに。次に「テレコン」、そして再評価の兆しもない。本当に旬の短い人だった。