このブログを1日2本更新にしたのは昨年真夏の急性盲腸炎の2週間入院の退院後で、それまではあまり頻繁な更新ではかえって見てもらえまいと1日1本の更新にとどめていた。療養中で閑な身でもあり、本来1日で何テーマでも書くのがぼくの元職業雑文家としての本分だから、ストックがどんどん溜まる。そうなると先1か月分のストックを時季に合わせて改稿したりしてかえって面倒だった。
退院後は書いておきたいことが次々と湧いてくるので、こんな駄文ではあるが毎日2本ペースで更新した。ランダムな更新は定期的に立ち寄ってくださるかたには面倒だろうと、毎晩午前0時に2本の更新と決めた。毎回の記事をきっちり1000文字でまとめるのと同じで、まずフォーマットありきなのが出版人だったぼくの過去の尻尾だ。
病棟は携帯可のエリアもあったが充電は不可で、入院から4日間は24時間の麻酔点滴で意識不明だったからブログは断念した(1回だけ「入院しました」と短い記事を載せた気がする。記事を作成するか送信中に電池が切れた覚えがある。それが夢か妄想だったような感覚もあるので気味が悪く、いまさら確かめたいとは思わない)。
いつ意識を失ったのかは覚えていない。完全に意識不明が持続していたのでもない。明るくなったり暗くなったり、看護師が出入りして点滴のパックを交換していくのはわかった。
ようやく口がきける状態になり、点滴を替えにきた看護師に「いつまで点滴でしょうか?」と尋ねたのだった。ちょうど夕食時近かったらしい。
「点滴は続きますけど」と看護師、「明日からは食事がありますよ。粥、刻みから段々と」
「明日…って何曜日?」
「金曜日ですよ」
近所の内科から救急車で搬送(今回は被疑者ではないから押送ではない)されてきたのは月曜の正午頃だから、この総合病院に初入院した時よりも2週間は回復が早い。
その時は重鬱の果ての絶食・脱水症状による全身衰弱に向精神薬の悪性症候群が重なる、と総合病院の担当医も太鼓判を押す危篤寸前で、ようやくベッドの上で身を起こせるようになり、24時間点滴のみから食事を出されるまで3週間かかった。仰向けのまま身動きもできなかったので、かかとから臀部、肩甲骨まで背面の至るところが床擦れでかさぶたに被われていた。
さて今は珍しく「書けない鬱」。ただ鬱なだけだ。