人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

本日の鬱屈通信8月6日

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○コメントと断片より

(1)なるほど、そのかたがいつもは粗暴に見えてとたんにしおらしくなるような面があるのは、知的にも情操的にも幼いんですね。昔の小説では阿部知二の「冬の宿」やスタインベックの「はつか鼠と人間」に出てきます。知的にも感情的にも抑制がきかない。入院が長引いたのも一因と思われます。精神医学の初期に「早発性痴呆症」という診断名が使われていた時代もありました(現代では異なるものとされ、この病名は使われません)。現状の容態では、やはり社会性は欠如していて生活適応は困難になるのでしょう。ぼくも変わりません。退院生活をこなしているというだけの違いです。

(2)病棟内ではどうしても運動不足・カロリー代謝率低下になりますね。ぼくが同室になった人は鬱も回復して病棟内で1日2時間の腿上げウォーキングして体力維持に取り組んでいました。そこまでは無理としても、気晴らしに院内をうろうろするだけでもどうでしょうか?頭脳労働というのもけっこうカロリー消費にはなるそうですよ。ブログで長文書くのも頭脳労働だし、携帯で英語字幕のヨーロッパ映画を見る(笑)。2時間弱で半日くらいサウナに入ったカロリー消費になると思います。かなり強引ですが(笑)。

(3)おはようございます。同じお悩みを多くのかたが持っていらっしゃると思います。しかし結局はひとつひとつ大事にに丹精をこめるのが最良の選択ではないでしょうか。平凡な感想ですいません。

(4)ぼくも今日は診察日ですが、処方はいつも通りだろうと思います。ちょうど今、鬱の波が揺らいでいるのでしょう。まだ軽い鬱の範囲です。ぼくのような躁鬱病は処方を変えるとかえって悪くなることもあるのです(追記・診察中にどしゃ降りに降られてずぶ濡れで帰宅。苦笑しました)。

(5)ぼくも釈放された日の晩は実家に頼らざるを得ず、翌日即入居できるアパートも同じ町で探さざるを得ず(いい物件ですが)、非常に屈辱でしたが他に手はありませんでした。釈放された囚人は住居も職のケアもなく単に放り出されるだけですから、組員でもなく身寄りもいない保釈囚の社会復帰の対応先は自治体にもなく、せいぜい病気や復職で行き詰まったら生活保護、という救済手段しかありません。それすら一時的に実家を拠点とするしかなかった。耐えるしかありませんでした。