人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(5)フランツ・カフカ小品集

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今回も生前刊行の唯一の小品集「観察」1913からエッセイともスケッチともつかない3篇を上げた。この3篇は同一のテーマを断片的に変奏したものと思える。作者の意に反して没後発表された三大長編「アメリカ(失踪者)」「審判(訴訟)」「城」も、生前刊行の短編「変身」「火夫」も原型は初期小品にあるだろう。
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『インディアンになりたいと思う』

ああ、インディアンになれたら!油断なく身構え、疾駆する馬上に、大気を斜めに裁断する。小刻みに震える大地の上を繰り返し細かく震動を続け、やがて手綱を放す。もはや手綱はない。やがて拍車を投げうつ。もはや拍車もない。そして眼前に広がる大地が滑らかに刈り取られた草地と変ずるとき、もはや人はいない、馬もいない。
(小品集「観察」1913)
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『樹木』

私たちは雪に埋もれた木々の幹に似ている。その幹は、平らに雪の上に落ちているようで、軽く突けば滑っていきそうに見える。だが幹はしっかり大地に結びついているのだから、それはできない。しかしまた、こうしたことすら実は見かけ倒しにすぎないのだ。
(同)
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『決意』

みじめな状態から脱け出すことは、うまく精力を加減したとしても、間違いなく容易いのだ。すなわち、体をもぎ取るようにして椅子から立つ、机のまわりをぐるぐるまわる、頭や頚が自由自在に動かせるようにする、眼に炎をみなぎらせ、眼のまわりの筋肉を緊張させる。また、あらゆる感情に抵抗を試みる。Aが来れば烈しく挨拶し、Bには親しみを込めて耐え、Cとの会話は苦痛をこらえながらゆっくりと呑み込む。
しかし、これがうまくいった場合でも、どうしても避けられない過失ひとつで、容易いこと難しいことを含めた全体が停滞し、私はまたしてもぐるぐるまわり直さねばならないだろう。
それゆえ最善の策は、すべてを受け入れること、重い物体として振る舞うこと、吹き飛ばされそうな時も不必要な一歩すら踏み出さないこと、他の人間をけだものの眼で眺めること、後悔を感じないこと、である。つまり生活の中に潜む幽霊を自分自身の手で抹殺すること。すなわち、究極の、墓場に等しい安息をさらにのさばらせ、この安息以外のなにものも存在を許さないこと。
このような状態を示す特徴的な動作のひとつ。小指で眉毛をこすっている男。
(同)