人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(10)フランツ・カフカ小品集

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花田清輝訳・編「カフカ小品集」にも採択された一篇(全文)。旧約聖書が題材だが、神の関与がなくても人間の企ては混乱と闘争、破滅への願望を招く様を簡潔に描いている。
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『町の紋章』

バビロンの塔の建立は、初めはうまくいっていた。うまく行き過ぎたくらいで、道案内、通訳、飯場、交通路に怠りはなかった。まるで工事は百年計画のようだった。当時の考え方といえば埒もないもので、工事ははかどらないほど結構というものだった。だがこうした考えも極端ではいられないもので、いよいよ土台を築く段になって誰もが尻込みし始めたのだった。つまり、この工事の目的は天まで届く塔を建てることであって、それ以外は本質ではない。思想とは一旦定着すれば決して霧消しない。人間が存在する限り、塔を完成させようという強い願望も存在するだろう。この点では、未来を心配することはない。人智は向上する。建築術もさらに進歩するだろう。現在は一年かかる工事も百年後には半年で、しかもさらに立派で堅牢なものができるだろう。ならばなぜ今日精根尽くして骨を折る必要があるだろう。塔が一世代で完成するならともかく、そんなことなど思いもよらず、しかも次の世代は智恵が進んでいるのだからそれまでの工事を取り壊して一から建て直さないとも限らな
い。そう考えるとやる気も薄れて、人々の関心は塔自体の建立よりも労働都市の建設に注がれるようになった。どの地方から出てきた者も一番立派な宿舎を欲しがり、喧嘩と乱闘が絶えなかった。これは行政機関には塔の工事を遅延、または中止するいい口実になった。とはいえ住民たちもいつも喧嘩と乱闘ばかりではなく、町の美化も進んだが、それもまた新しい嫉妬と乱闘の種となった。最初の世代はこんな風にして過ぎ、だがどの世代も結局は同じで、ただ技術ばかりが向上し、闘争もはげしくなった。それどころか第二、第三の世代になると天まで届く塔を建てても仕方ないじゃないか、とわかってきたのだが、その時にはもう住人たちはこの町を立ち去ることはできなくなっていたのだ。
この町の伝説や民話のどれをとっても、巨人の拳が五度叩けば町は粉々に粉砕されるだろう、と予言された日への期待に満ちている。この町の紋章が人間の拳なのもそのためだ。
(遺稿集「ある戦いの描写」1936)