人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

死と愛欲

10月5日はかつて一番愛した女性、別れた妻の誕生日だった。今年はカードも送らず贈り物もしなかったから、まだ娘たちも下校前の早い夕方に、留守番電話に短いお祝いを吹き込んだ。離婚後5年半経ったから、40歳だった彼女も46歳になる。
去年の5月、次女の誕生日に電話した時、一応近況として「彼女ができた。でも…」「あらそう!お幸せに!私には何もありませんから!」「いや、ついこの間別れた。ご主人とお嬢さんがいる人だった」
元夫の傲慢承知でいえば、彼女の夫はぼくでなければ務まらない。10年という期間限定結婚だったのだろう。親権は完全に妻が握ってもう会う期待も一切ないが、娘たちの存在がわれわれを元夫婦につなぎ止めているのだと思う。(昨年別れた女性もぼくの別れた妻に猛烈に嫉妬していた。ぼくが妻を愛したようには愛されない、というのがその根拠だった)。

どうやらテーマは「愛欲」ということになってしまったようだ。さすがにもう大人の男となると肉体を伴わない恋愛はない。もちろん愛の領域はずっと広いものだが、こと愛欲となると満たされることは(少なくともぼくの知る限りの男は)滅多にない。惰性か習慣的なものだ。むしろ金銭を介した行為のほうが愛など一切関与しないだけいい。
だいたい中年男の到達する認識などこんなものだろう。昔、性の虚無感ばかりを小説の主題にしたアンチ・フェミニズムの作家、吉行淳之介という巨匠がいた。没後急速に忘れ去られたが、故人の作品だと思って読むと生彩を欠いてしまうのだ(村上春樹に似た資質かもしれない)。

去年別れた女性とは不倫の関係だったので、ぼくの友人(当時)の女性画家を通して連絡をとることが多かった。彼女(黒木瞳似)は看護学校卒業後早々結婚したが散々な目にあい、全国を逃走し、離婚後に元夫は長野の山奥で番人になった。そして彼女は「ここで会ったが百年目」という恋愛に陥り、どちらが死ぬかというくらい追い詰めあって、男が先に自殺した。携帯電話の生中継で。彼女が妊娠中絶(5月5日!)して半年目の冬だった。(ぼくの恋人も妊娠中絶をきっかけに-ご主人は数か月後には忘れていたそうだ-躁鬱からアルコール依存症になった)。
自殺した恋人は詩人だったそうだ。彼女は精神疾患になり、生活保護を受けている(ぼくが助言)。貧乏と気違いは少女の頃から夢だったという。