人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(18)フランツ・カフカ小品集

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珍しく抒情的な佳品。
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『サーカスの大衆席にて』

もしこうだとする。ひとりの、肺を病んでいるらしい弱々しいサーカス娘が、よろけがちの馬に乗り、飽きることを知らない観衆の前で、鞭を振り回す情け容赦ない親方のために、何か月も休みなしにぐるぐるリングを回せられる。その娘は馬の上で風を切り、投げキスをし、腰で調子をとっている。そしてこの演技は、オーケストラと場内の扇風機の絶え間ない咆哮の元に、ますます大きく口を開いてくる灰色の未来へと続く。そして、その間それに対して送られる拍手は、あるいは弱まり、あるいは高まってくるが、それは元々この演技に対して加えられる蒸気ハンマーに過ぎない。-で、もし以上のようであれば、おそらくその時、大衆席の中からひとりの青年が駆け出して、長い階段を走り降り、上等席を抜けてリングへ飛び出し、絶えず演技にあわせてわめきたてているオーケストラをものともせず、「やめろ!」と叫ぶだろう。
ところが実際はそうではないのだ。ひとりの美しい少女が、白と赤の装いで、制服の男子たちが威儀を正して彼女のためにサッと開く幕の間から、軽快に身を踊らせて入ってくる。座長は恭しく彼女を迎えて、動物のような仕草で彼女に鼻をすりつける。目に入れても痛くない孫娘を危険な旅に送り出すように、用心深く彼女を葦毛の馬に乗せる。さて鞭の合図をくれる決心がつかない。最後に思いきってピシャリと合図し、それから馬に沿って大股に走りながら馬上の少女の跳躍を鋭い視線で追う。座長は彼女の技能をほとんど知らないのだ。英語の叫び声をあげて警告しようとし、輪をかざす馬丁たちをどなりつけて針の先ほどのことに注意を促す。千に一度の「死の跳躍」にかかる前にはオーケストラに向って両手を高くあげて音楽を停止させる。そしてクライマックスの後は、少女を身震いしている馬から抱き降ろし、双の頬に接吻し、観衆のどんな熱烈な喝采にも満足しない。一方少女の方では、座長に支えられて高く爪先立ち、埃の立つ中に腕を広げ、額を後ろに反らして、自分に与えられた幸福をサーカス全体と分けあおうとする-実際のありさまはこうなので、大衆席に混じるかの青年は顔を胸元に押し当て、重い夢でも見るように結びのマーチに身を浸しながら、いつともなく泣くのだ。
(遺稿集「村医者」1919)