人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(20)フランツ・カフカ小品集

イメージ 1

これはカフカにしては珍しくアナーキズムの問題を正面から扱ったもの。非常に理詰めに展開する。ファシズム台頭の予見でもある。
*
『法律の問題』

この国の法律は誰もが知ってはいない。それは我々を支配する少数の貴族の秘密で、それらが確実に守られているのは疑えない。とは言え知りもしない法律に支配されているのは何ともいえない苦しみだ。この国の法律は実に古いもので、その解釈には数世紀の歳月が捧げられ、解釈自体が既に法律とも言える。貴族が法律の解釈に当って個人的な利害からわれわれに不利益をもたらすいわれはない。法律はそもそもの始めから貴族のために定められたもので、貴族は法律の外にいる。だからこそ法律はもっぱら貴族の手中に委ねられているのだ。言うまでもなく法律の中には知恵が含まれている-誰が古い法律の知恵を疑おう-だがそこには我々の苦しみもある。これは避けがたいことかもしれない。
ともあれ、これらの法律らしいものは実は単に仮装かもしれない。法律が存在し、貴族だけの秘密として委ねられているのは伝統だが、古い伝統、古いが故にもっともらしい伝統以上ではなく、また、そうであるはずもない。それはこの法律が秘密を条件にしていることからもわかる。けれども我々が祖先の代まで遡り、貴族の歴史と共に十分に研究して過去と未来に備えようとすれば、-この場合、法律の全ては不確かとなり、おそらく理性の遊びに過ぎなくなるだろう。だが我々がここで検討しているこれらの法律など存在しないかもしれないのだ。本当にこうした見解をとる小さな政党がある。この政党は、もしある法律が存立するとすれば、それは貴族の行うことが法律なのだ、と証明しようとし、民衆の伝統を拒否する。実を言えば、この間の事情は次のような逆説でのみ表現できるのだ。「法律への信仰と共に貴族をも排斥するような政党があれば、たちまちに全国民の支持を獲得できる。だが貴族を排斥する勇気は誰も持ちあわせていないのだから、そのような政党は発生し得ない」この刃の上に私たちは生活している。ある作家はこれを総括して言っている。「我々の上に課せられている唯一の、目に見える、疑う余地のない法律は貴族である。我々はこの唯一の法律を失おうとしてはいけないのだろうか?」
(遺稿集「ある戦いの描写」1936)