強いて言えばユダヤ教的発想が共通する二篇。やや投げやりな仕上げ。
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『夜』
夜に浸る。物思いに浸るように夜に浸りきる。誰もかも眠っている。人が夜になると眠るのはつまらぬ芝居、罪のない自己欺瞞だ。がっちりした屋根の下、がっちりしたベッドの中-事実は荒野の幕舎に、家畜のような群衆が投げ出されているだけなのだ。そして、君は起きている。次の夜番に火を手渡すまで起きている夜番のひとりだ。何故君は起きているのか?誰かは起きていなければならないからだ。誰かが起きていなければならない。
(遺稿集「ある戦いの描写」1936)
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『つまらぬいざこざ』
つまらぬ出来事、その結果もつまらぬいざこざ。AはHに住むBと大事な取り引きがある。彼は打ち合わせのためにHへ出かけ、征きと帰りをそれぞれ10分間で済ませ、帰宅後、何と早いではないかと自慢する。翌日再びHへ出かける。今日はきっぱり話を決めるのだ。それにはどうしても二三時間かかりそうなので、Aは朝早く家を出る。二次的状況はすべて全日と同じだとAには考えられるのだが、今度は征きだけで10時間かかってしまう。夕方へとへとになって辿り着くと、Bの家人の話では、BはAの来ないのに憤激して、30分前にAの村に向ったとのこと。そして、途中でお会いになたはずだが、という。お待ちになっては、とも勧められる。だがAは仕事が心配なのですぐに暇を告げて、わが家へ向う。
帰り道は、格別気を使ったのでもないのに、あっという間に着いてしまう。帰宅すると、Bもやはり同じように早く着いたことがわかる-Aが出かけるとすぐ着いたわけだ。いや、Bは実は門のところでAに会って商売の話をしかけたのだが、Aは今は忙しい、急いで行かなきゃ、と言ったとのこと。
更に家人の話によると、Aのこうした不可解な態度にも拘わらず、Bはこの家でAを待っており、今まで何度もAの帰宅はまだか、もう部屋に戻ってはいないか尋ねるという。Aは話を聞いて、これでやっとBに会えるぞ、話せばわかるだろう、と喜び勇んで階段を登る。最後の一段で彼はつまずき、脚の腱を切ってしまう。痛みに気が遠くなり、叫び声も立てられず暗がりで呻くAの耳に-ずっと向うか、それとも目と鼻の先かも覚束ないが-Bが荒々しく階段を駆け降り、姿を消す物音が聞こえる。
(同)