人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

別れた次女の素描・前編(連作1)

(連作「ファミリー・アフェア」その1)

次女はあまり自分から感情を表す子供ではなかったが率直な性格で、表情や仕草から自然に心の動きが読み取れ、無口だが言葉に嘘はなかった。
ゴダールの映画「気狂いピエロ」に、
「彼女が『外は晴れよ』と言えば晴れなのだ」
というモノローグがある。もし曇り日にぼくが空模様を尋ねたら、長女なら気を配って、
「そう悪くないわよ」
と答えるだろう。ぼくも子どもの頃からそういう面があった。だが次女なら、
「曇り」
とあっさり答えるだけだろう。これは別れた妻もそうだ。最初にデートした時、食事はなにが好き?と尋ねると一言「カレー」「どんなカレー?」「普通のカレー」と実に不毛な会話が続いた。長女は妻に似ず良かった。

次女はたまに自分から話してくる時には前後に脈絡なく、思いつくままに話題が変わるので、
「そうか。それでどうなったの?」
と聞き役になるしかなかった。傍らから姉が、
「あやちゃん、何言ってるんだかよく判らないよ」
と横槍を入れると、パパは(そうだ、かつてぼくはパパだったのだ)、
「いいんだよ。パパはあやちゃんのお話をもっと聞きたいよ」
と次女に話の続きをうながした。
話したいことを存分に話すと、幼児から年配者まで慰安効果があり、信頼や意欲に繋がっていく。ライターという職業経験が育児にも役立つとは思わなかった。しかも自分の娘たちばかりでなく。
保育園に迎えに行くと、娘の同級生の幼児たちがワッと押し寄せてくる。
「あやちゃんのパパ、今日ブランコでね…」
「あやちゃんのパパ、今日鉄棒でね…」
と方膝つけたぼく(同じ目の高さで話すため。膝には半年ごとに穴が空いた)に話しかけてくる。
「そうか泰ちゃん、びっくりしたね」
「ふみちゃん、とても頑張ったね」
次々話して次女の様子を見ると、数人までは「人気のパパ」に満足気なのだが、だんだん不機嫌になるのがわかる。ぼくにスキンシップまで求めてくる子がいると、
「桜ちゃんのパパじゃないのよ!あやちゃんのパパなのよ!」
と怒り出す。こういう時の彼女には周囲を征する威圧感があったので、じゃあ明日ね、とそそくさと子供たちの頭を撫でて、保育士の先生方に挨拶を済ませてさっさと引き上げた。不満を発散するとすぐに円満になる次女は、とても愛らしかった。
(次回へ)