人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

青年時代の概略・後編(連作10)

(連作「ファミリー・アフェア」その10)

ぼくはアルバイトを転々としていたが、あと1年といういうところで卒業単位取得の見込みはなくなっていた。それ以上実家からの学費援助は受けられない。アルバイト遍歴の最後は編集プロダクションだった。編プロの実態など何も知らずに応募し、どこを見込まれたのか採用された。どうせ雑用仕事だと思った。
だが初日から穴埋め原稿の補筆、グラビア撮影の写真分類、レイアウト・デザイナーやライターへの依頼、企画全般、版下校正や色校正を叩きこまれた。アルバイトを含めて10人ほどで月刊誌5冊という殺人的な職場だったが、ぼくには楽勝だった。出来て当然という職場だったのでアルバイトのほとんどは数日で脱落していく。なるほど、簡単に採用されたわけだ。

ぼくと数日の前後で入ったGとMも習えば一度で覚えて筆も立つ優秀なアルバイトだった。アルバイトの募集は年中で、本来は6人は必要だった。ぼくとG、Mとで6人分の仕事をしていたのだ。
ぼくは学費未納で大学を除籍になり、そのまま正社員になった。Gは中国語通訳の学校を卒業すると大陸に渡って砂丘でグライダーに乗った写真を送ってきた。Mはインドと日本の往復を繰り返していた。Mは国際結婚していたのだ。

日本で半年のアルバイトで貯められるお金で、Mの奥さんとその家族は家を建てて裕福に暮らせる。奥さんはMが娼婦から水揚げした人だった。
だが数度目にインドに戻って、Mの国際結婚は崩壊した。建てた、という家は借家だった。奥さんは家族どころか親戚中にお金を配っていて、貯金はまったくなかった。そして最初から、Mの帰国中は娼婦に戻っていた。
離婚して帰国してきたMは見るからに精神的な荒廃が感じられた。まだ実家に住んでいたが家族との仲は険悪だという。Mは高校生の時に不良グループに脅されてレイプの見張り番をさせられたことがあり、それが消えない自責の念になって苦しんでいた。

それでもMは抜群の能力があったから編集者に復帰させるのは簡単だった。ぼくは自分の住むアパートの空きにMを招いた。
一時は立ち直ったかに見えた。が、酒を飲んで出勤したり、昔のガールフレンドとこじれた関係になったり、精神科に通ってODしてみたり(冷たくなっている彼を発見し救急車を呼んだのはぼくだ)…
そしてある晩Mはぼくを殺しにきた。