人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

牛丼とラーメン(2)

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同じ題目の作文は先日掲載したが、肝心の牛丼とラーメンについては三行しか触れなかった。いや、わざわざそうしようとしてやったのではなく、ほんの少し別の話題から入ったらあのざまだったのだ。
登山に例えればちゃんと登山道を通るやり方も、我流のルートで頂上に着くやり方もあるが、ぼくの場合はよそ見しながら登っていたらいつの間にか隣の山道にいた。ぼくが引率の先生ならこういう生徒は勘弁願いたい。

そういえば三歳頃に半日ほど行方不明になって母を心配させたことがある。家の近くで遊んでいたはずだったが、探しても見つからない。時間的に三歳児の移動可能と思える範囲をくまなく探したが、いない。
結局母は警察に通報した。間もなくぼくは隣町の警察に保護されていることが判明した。ぼくは車道の脇で三輪車を漕いでいたのだ。無事でよかった。おかげで30年後可愛い娘もふたり、無事に授かったのだ。

謎は残った。最大限に見積もって三時間、三歳児が三輪車で10kmも移動できるだろうか?クレヨンしんちゃんならできるかもしれないが、しんちゃんは五歳だし元々身体能力も常人離れしている。
(男児なら誰でも真似できるのは「ぞうさん」くらいだろう。次女の保育園クラスで大流行して長女が困っていたことがある。「男の子がぞうさんしたら注意しないと駄目よ」「なんで?面白いよ」「恥ずかしいでしょ?」「なんで?」)。

当初今回は哀れっぽい詩の紹介から本題に移るつもりだった。こんな詩だ。

あの歌をおききなさい
とおい処でうたっているのですよ
さも かなしそうに
漠然としたスミレ色の
明確を欠いた事物の中から
憩むベンチもないところで
うたっているのですよ
あの歌をおききなさい
詩人がうたっているのですよ
農夫が帰って行ったあとの
荒々しい植物に塞れた径のあちらで
昆虫のようにうたっているのですよ
うすい純粋な肋をひびかせ
夕ぐれと過去と
生理のためにうたっているのですよ
傾いたわるい世界の
祈祷も涸れた田園の中の
弱々しいボイコットの歌ですよ
青年たち
あれは つまらぬ文学の歌ですよ
(村野四郎『あの歌をおききなさい』昭和16年)

でも今回も企画倒れに終ってしまった。こういう意味不明の駄文だっていいじゃないかと思っている。