人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(11)

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 自然主義小説はヨーロッパ文学の発明で、発祥国フランスでは1865~1893年までのほぼ30年間に興隆から衰退までをたどります。
 一方アメリカや日本はヨーロッパの文芸思潮の輸入国でした。日本の自然主義小説は1890年代から試作があり、1910年までには日本流の自然主義小説が確立されて、自然主義作家たちは1930年代まで生涯自己の自然主義を貫きます。フランスからは30~40年の遅れとはいえ、開化以後の日本では自然主義は初の本格的な現代文学の始まりであり、個々の力量は鴎外や漱石らのエリートには及ばなくても文学運動としての総合的な影響力は孤立したエリート文人を凌いでいました。田山花袋の業績は花袋がやらなくても誰かが果したと思われますが、影響力という点では鴎外や漱石荷風や谷崎らより大きいのです。優れた作家が時代を代表するとは限りません。

 そこでアメリカに目を転じると、絶句せざるを得ないのは小説が絶望的に下手なことです。日本の明治時代の小説家は漢詩や和歌の教養があり、漢文や和漢混交体の文語文の読み書きは当然の教養で、いわば言語表現における形式感覚は非常に高いものでした。19世紀中葉までのアメリカ文学はイギリス文学の亜種であって、少数の先駆者がアメリカ独自の文学を志向していたわけです。
 自然主義の先駆にあたるハウエルズ、ヘンリー・ジェイムズマーク・トウェインらリアリズム小説家が、では『ボヴァリー夫人』のような、日本文学で上げるなら『土』や『或る女』のような作品を書いたかと言えば、ハウエルズは理想主義的リアリズム、ジェイムズは主観的または認識的リアリズム、トウェインはリアリズムを踏まえたシュールレアリスムと言ってよいものでした。ハウエルズはともかく、ジェイムズとトウェインは大手腕の作家なのでリアリズムの範疇で評価はできません。

 ただし自然主義小説の試作がアメリカで書かれ始めると、時期こそ日本とほぼ同時期といえ、まず小説としての稚拙さが日本とは比較になりません。日本の自然主義作家は新人の時点で相当の文学的修養を積み、さらに日本文学の伝統と舶来思想の自然主義を折衷することができました。
 アメリ自然主義小説の新人作家は有効な文学的修養もなく、拠り所とする文学伝統もなかった。これで最初から熟達した作品が生まれるわけはありません。