人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン(43)

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ムーミン谷にはほど良い川幅の流れが東のおさびし山のふもとに沿って注ぎこんでおり、谷の半ばで流れは南から北へとゆるいL字型の曲線を描き、谷の中央を流れ、北西の大山の裏に回り沖へとつながっているようでした。
ようで、と不確かなのは大山の裏は断崖絶壁の上、そこまでくると入江に近く、川の流れも海流や潮の満ち引きで不規則なばかりか滝すらいくつもあり、さらに突然のうずまきが川面を流れる何もかも水中に呑みこんでしまうからです。あわせて69の学位を持つヘムレンさんとジャコウネズミ博士が何度も観測を試みましたが、満足な成果どころか不満足な成果すら得られません。
だが私はやってみたのさ、というのがムーミンパパの口癖でした。実現困難な話題を聞くとそれは私がやってみた、とムーミンパパは必ず言うのです。発明家フレドリクソン、そしてロッドユールとソースユールの男女コンビがヘムル孤児院出身のムーミンパパの冒険仲間でした。
もっともムーミンパパには経歴詐称癖もあり、実際に育ったのはフィリフヨンカ孤児院らしく、その点を突かれると私のような著名人の場合、在命者に迷惑がかかるからと理由にならない言い訳をします。しかも実は伯母がいる、本当は裕福なエリート軍人家庭出身という噂にも信憑性があるのです。ですがムーミンパパが結婚前は職業冒険家として谷じゅうに名をはせていたのは事実で、早い話が谷いちばんの問題児だったのでした。
だからムーミンパパが所帯を持って冒険家から足を洗うのは、谷の住民みんなが大歓迎だったのです。ムーミン族の雄は代々スノーク族の雌とつるむ慣習があります。そこでムーミンパパ(当時ムーミン)がフレドリクソンと嵐の沖へ、ニョロニョロ島周遊にオーシャン・オーケストラ号で船出した時、住民から有志がムーミンママ(当時フローレン)を素巻きにして沖へ放りだしました。救助した雄と救助された雌にはもくろみ通りロマンスが芽ばえ、冒険仲間のロッドユールとソースユールも婚約し、フレドリクソンも一介の市井の発明家になりました。めでたしです。
そして婚約中のムーミンたちとふたりのユールたちは合同結婚式の計画をしていました。挙式は新居でつつましくやろう。披露宴は住民みんなを呼ぼう。だがどこで?するとムーミンパパ(当時ムーミン)が新聞から顔を上げて言いました。
この谷にもレストランができたそうだよ。