人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(23)

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前回の『文学史知ったかぶり』は8月1日でしたから内容に触れておきましょう。『ミメーシス』は第一章の『オデュッセイア』『旧約聖書』から第二章ではいきなり『サテュリコン』『年代記』に飛んでいる。つまり古代ギリシャから隆盛期のローマに一足跳びで移っており、通常古代文学史では同等に重視される古代ギリシャ抒情詩、古代ギリシャ演劇―三代悲劇作者アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、喜劇作者アリストファネス、また紀元前から紀元後の変り目にローマ統一期最大の叙事詩人だったウェルゲリウスを意図的に落している。

文学史の里程標としてギリシャ抒情詩の軽視ならまだしも、ギリシャ演劇はアウエルバッハの文学史観ではこれを演劇の起点とすればワーグナーに一章を割かねばならないため忌避されたのではないか。演劇にキリスト教典礼劇や伝承劇を起点とする『ミメーシス』の史観は論拠はあっても、ギリシャ演劇を無視したヨーロッパ文学通史では無理はないか。
また、ローマ文学をウェルゲリウスではなくペトロニウスタキトゥスから始めるというのも意図的な無視ではないか。

ドイツ生まれの亡命ユダヤ人であるアウエルバッハは戦時下に『ミメーシス』を書き上げ、ドイツ敗戦の翌年刊行しました。アウエルバッハにとって、これがヨーロッパ文学史研究の体裁をとったファッショ軍事政権への抵抗文学であっても不思議ではありません。
翻訳書の前文や解説では原著者の政治的立脚点が作品の選択や論旨に反映している、という指摘がまったくありません。第二次世界大戦中にユダヤ系亡命ドイツ人の文学史家が『オデュッセイア』と『旧約聖書』をヨーロッパ文学の起点とする文学史研究を書く。これはヨーロッパ文学の起源はアーリア人文学とユダヤ人(シオニズム)文学に大別される、という主張であり、ヒトラー政権下ドイツの、ファッショ思潮への激しい弾劾です。

やはり大戦中執筆のユダヤ系亡命ドイツ人作家ヘルマン・ブロッホの大作『ウェルゲリウスの死』(45年刊)では、国民的詩人ウェルゲリウス(BC70~19)は皇帝の勅命によってローマ建国史の記念碑的叙事詩『アエネーイアス』を書きますが、政治利用のための詩作への葛藤と絶望を正面からテーマにしています。一方同じ理由からアウエルバッハはウェルゲリウスを文学史の対象から外しました。この対照は興味深いのです。