人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(25)

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タイトルに反してこの連載は「文学史早分り」的なものではありません。サンプルとしてエーリヒ・アウエルバッハ(1892~1957)のヨーロッパ文学表現史『ミメーシス』1946を取り上げ、学問的で客観的と思われがちな文学史がいかに時代思潮の偏差を反映したものであるか、そこで切り捨てられ、あるいは過大に重視されるものがあるかを、むしろアウエルバッハの苦汁が投影されたジレンマの例証として読み取ろうとしてきたつもりです。

もし日本文学史でアウエルバッハに相当する存在を探るなら、時代は先んじますが津田左右吉(1873~1961)に『文学に現われたる我が国民思想の研究』1917~21があります。この日本文学史は全編を通じて著者の血の通った生き生きとした研究ですが、のちの大東亜戦争中に津田は学問的な立場で『古事記』『日本書記』の研究から聖徳太子を始めとする初期の歴代天皇の実在性を否定し、反国家主義者として著書は発禁、出版法違反で執行猶予つき有罪判決(禁固)を受けました。大学の教職は解雇され、戦時中は事実上学者生命は断たれてしまったのです。

アウエルバッハはユダヤ人としてドイツの教職を追われて、トルコに教職を得て『ミメーシス』を完成し、その成功によってアメリカの大学に招聘されてアメリカを終の栖としました。津田博士は戦時中は沈黙を強いられましたが、折口信夫(1887~1953)の『日本文学の発生序説』1947、風巻景次郎(1902~1960)の『中世の文学伝統』1940、『日本文学史の構想』1942や保田與重郎(1910~1981)の『後鳥羽院』1939は戦時下にありながら津田博士の業績を継いだ、日本文学の必読書と言うべき文学史書です。小説や詩歌、戯曲や批評だけが文学ではない。文学史もまた文学たり得ます。

一方ではアウエルバッハと同様に、見方によってはさらに過酷な状況で亡命ユダヤ人作家となったヘルマン・ブロッホ(1886~1951)が戦時中に全力を注いだのは専制政治と文学の問題に取り組んだ『ウェルゲリウスの死』1945で、やはり亡命ドイツ作家のトーマス・マン、ローベルト・ムジールやアルフレート・デーブリーンファシズム個人主義を主題に生涯の大作を書きました。『ミメーシス』は文学史ですが、戦時中の亡命文学という性格抜きには誤読を招く厄介な教科書なのです。